江戸の知識人は僧侶が嫌い | 人差し指のブログ

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「 日本人の西洋発見 」

ドナルド・キーン (Donald Keene 1922~)   訳者・芳賀徹

中央公論社 昭和43年12月初版・昭和55年8月再版・より

 

 

 

十八世紀後半の日本で、事実上全知識人の意見が一致していた点があったとするなら、それは仏教がもはやなんの役にもたたず、僧侶は堕落している、という一点であった。

 

 

それは実は驚くべきことだった。

 

 

当時は法によって誰もが仏教寺院とつながりをもつことを強要されており、また(たとえば本多利明のように)一生涯仏教の全面的弾劾をつづけた男でも、死後、寺院の墓地に葬られるのはほぼ間違いないことだった、という事実を思いあわせるならば、右のような態度が出てきたことはたしかに驚くべきことにちがいなかった。

 

 

 儒者、蘭学者、国学者など、さまざまのグループが、それぞれ多様な理由から仏教を嫌悪していたのだが、かれらすべてに共通していたのは、僧侶は無知で放縦だとする見方であった。

 

 

寺院の数、僧侶の数からいって、仏教はあたかもその隆盛の絶頂にあるかの観を呈していた。

 

 

だが実は、誓願を立てて仏道に入った百人の僧のうち、一人として心から仏陀の教えに従うことを願って聖職についた者はいなかった*のである。

熊沢蕃山 『大学或問』

 

 

日本古来の学の優越を信奉していた人たちは、僧侶が低俗な生活をおくるのは、仏教の異国性そのものから来る不可避の現象だと主張した。

 

 

また仏教の教義は本来立派なものであるのに、そこに真意を見捨ててしまったところに、いまの僧侶の惨憺たる状態が起因している、と考える学者もいた。

 

 

司馬江漢はこの後者の観点から多くの痛烈な非難の言葉を放っているが、そのひとつの文章では、「今の僧は、天下の遊民にして出家の業なし」 と言っている。

 

 

 

 

朝霞(埼玉)の花火大会  8月4日  中央公園にて撮影