『 中国人韓国人にはなぜ 「心」 がないのか 』
加瀬英明 (かせ ひであき 1936~)
KKベストセラーズ 2014年5月発行・より
中国について、もう一つ、驚くことがある。
第二次大戦前にも、中国には上海を中心として、貿易を通じて巨富を手にした、富裕なファミリーがいくつも存在した。
ところが、今日でも、広い中国大陸に泰西名画をはじめとして、西洋美術館が一つも存在していない。
日本であれば、上野公園の国立西洋美術館や、東京駅八重洲口にあるブリヂストン美術館をはじめとして、全国に西洋美術館を蒐集した、多くの美術館がある。
国立西洋美術館は、松方幸次郎(まつかたこうじろう)(1865年~1950年、造船、製鉄などで成功)が、収集した、西洋絵画、彫刻のコレクションがもととなっており、ブリヂストン美術館はブリヂストン・タイヤの創業者である、石橋正二郎(1889年~1976年)が収集した、ルノアール、セザンヌ、モネ、シスレー、ドガなどの印象派の西洋近代絵画が、中心となっている。
日本は世界的にも、高い評価を受けた洋画家を、数えきれないほど生んできた。
日本における洋画の歴史は、遠く室町時代(1392年~1573年)まで遡(さかのぼ)る。
キリシタンの宣教師が持ち込んだ宗教画を、絵師が模倣して、南蛮(なんばん)画と呼ばれた。
徳川時代に入ると、多くの優れた画家が、西洋絵画の手法と、油絵、岩絵具を用いて、絵筆を競った。
ところが、中国ではそのようなことがなかった。
中華文明だけが、世界で唯一の真っ当で、偉大な文明であると、思いあがってきたから、西洋美術は夷狄(いてき)のものとして、見なした。
そこで、今日にいたるまで、西洋美術館が一つもないし、日本のように優れた洋画家を生むことがなかった。
数年前に、中国の実業家が中国の友人の紹介状を持って、たずねてきた。
日本に美術品の買い付けにきた、といった。
私は親しい画商が何人かいるから、紹介しようとした。
ところが、西洋美術にはまったく関心がなく、日本にある中国美術品を、求めていると、いった。
ましてや、日本美術は、まったく眼中になかった。
口ぶりからすると、日本に芸術があることを、まるで認めていないようだった。
私は西アフリカの古い木製の彫刻を蒐(あつ)めているが、居間に二十点ほど飾っている。
アフリカの民族彫刻は、ヨーロッパの近代美術に大きな影響を及ぼしたから、美術関係者であれば関心を持つはずだった。
ところが、私が注意をひいても、まったく興味を示さなかった。
東南アジアで、多くの華僑の広壮な邸宅に招かれた。
中国美術品を蒐めている金持ちが多かったが、泰西名画にはまったく興味がないようだった。
もっとも、ピカソ、ムンクであれ、将来、値が大きくあがって、投資の対象となるとなれば、食指を動かすのだ。
中国人は誰もが、中華文明が地上でもっとも偉大な存在であると、信じている。
もちろん、中華文明が真っ当なものであるとすればそう思ったとしても理解することができる。
だが、中華文明は、政治、政治、政治ばかりで息が詰まる。
今日にいたるまで、すべて、あらゆるものが、政治に取り込まれる、異様な社会であってきた。
(人差し指)・アメリカの劇作家アーサー・ミラーも同じような事を言っています。
『北京のセールスマン』 という本だったかなぁ・・・昔、図書館で読みま
した。
朝霞(埼玉)の花火大会 8月4日 中央公園にて撮影