「 人間の生き方、ものの考え方 学生たちへの特別講義 」
福田恆存 (ふくだ つねあり 1912~1994)
株式会社文藝春秋 2015年2月発行・より
そうなると、人間は、自分の生まれる前のことは経験できないかというと、そうではない。
さっきも言いましたように、日露戦争を私は知識としてしか教わっていないので、経験はしてはいません。
その日露戦争を、昭和一七年に私は経験したのです。
当時文部省の外郭団体に日本語教育振興会というのがあって、占領地の日本語教育の仕事のために私は満州、支那の各地を廻り、その途中旅順に立ち寄りました。
東鶏冠山の堡塁に立って下を見おろした時に、初めて私は日露戦争というものを経験した。
あの山の傾斜というのは大変なもので、身を隠す遮蔽物は全くない。
そこを乃木将軍の率いる第三軍が攻めた。
大体、二〇三高地を攻めるか、東北正面の東鶏冠山、松樹山を攻めるかで議論が二つに分かれておりました。
東京の大本営は二〇三高地を主攻方面にしましたが、満州軍総司令部は東北正面を主攻方面にするというので、調節がつかず、第三軍は非常に困ったのです。
そういう細かい話は別にして、最初のうちは、主攻方面を東北正面にとって総攻撃をやったのですが、これがもう大変な仕事で、死に行くようなものであった。
そこに行って見て、責任者としてそこに立たされた乃木将軍という人間、およびその部下たちの苦衷というものが、私には初めてよく分かった。
今になって、ああすればよかった、こうすればよかったというようなことを言うのは全く無責任な批評である。
明治維新によって開国し、諸外国の圧力に抗しながら、全く遅れて出発した日本が、未知のロシアという大国にぶつかった苦悩が一番象徴的に現れているのがあの地形だというように、私はその時思ったのです。
現地に行く、あるいはすぐれた史書を読むということによって、日本の国の歴史というものを、自分の経験とすることができる。
ただ遺憾ながらそういう歴史書が非常に少ないということは事実です。
乃木将軍を批判した司馬遼太郎に対して福田は「中央公論」の昭和45年
12月臨時増刊で「乃木将軍は軍神か愚将か」という文章で乃木を擁護したそうです。
7月7日に 「乃木大将の貧相な生家」 と題して安岡章太郎の文章を紹介しました。コチラです。 ↓
https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12383852420.html
朝霞(埼玉)の花火大会 8月4日 中央公園にて撮影