「 歴史への感情旅行 」
安岡章太郎 (やすおか しょうたろう 1920~2013)
株式会社新潮社 平成7年11月発行・より
ところで、私が 「家庭」 を外来のものと考えたのは、山口県の乃木神社境内で乃木大将の生家(実物大復元)というものを見てからだ。
これは単に乃木さんの家を復元しているというだけでなく、なかで少年時代の乃木さんが父や母と一緒に食事している様子を、等身大の人形を並べて見せてくれる。
それがじつに生活の実感を漂わせていて面白かった。
少年時代の乃木さんの家が、甚だ質素であったことは、私も小学生の頃から修身や国語の教科書で教えられた記憶がある。
しかし、この乃木神社の境内に展示された乃木さんの生家の模様は、やはり教科書などでは窺い知れぬものを私達に教えてくれた。
私が最も感動したのは、乃木さんの家の暮らし向きの貧しさが如実に現れていたことだ。
実際それは質素などというものではない。 端的な貧乏そのものなのだ。
そこには外国人のいう家庭、ホーム・ホーム、スイート・スイート・ホームといった雰囲気はカケラもない・・・・・・。
私は本当の貧乏がどんなものかなど、大して知っているわけではない。
ただ、復元された、その乃木さんの家には押入というものが一つもない。
箪笥や戸棚のようなものも見当たらない。
その代用をしているのは、大きな木綿の風呂敷包みであって、
それが三つ、梁から ぶら下がっているのである。
押入ひとつないような家には、また天井というものもない。
剥き出しの屋根裏には、何本かの梁が通っており、そこに大きな風呂敷包みが三箇、巨大なテルテル坊主か何かのように吊り下げられているわけだが、包みの中身は何であるのか分からない。
ただ、その包みの大きさから想像して私は、それは家族全員の衣類や夜具、蒲団などであろうと考えた。
そうだとすると、この風呂敷包みは乃木さんの家族にとって、まことに鬱陶しい限りのものであったろう。
おもうに、乃木家の人びとが、朝起きて真っ先にしなければならないのは、めいめいの蒲団を畳み、風呂敷に包んで、それを梁から下がった細引きに結びつけ、適当な高さに吊り上げることだ。
そうしないと、家族が揃って食事をとる空間が得られないのである。
私は、幼い乃木さんが一生懸命、細引きを手繰って蒲団の包みを吊り上げようとしているさまを想い浮かべると、何やらそこに明治維新に尽力した長州藩士の原動力がありそうに想われた。
そうでなくとも、頭の上に二六時ちゅう大きな包みが、三つ四つぶら下がっていることは憂鬱なものだったに相違ないが、その包みの下に家族一同が正座して、お膳を前に食事している光景は、家族の団欒というには貧し過ぎて、一種苛烈なものが漂ってくる感じさえしてくるのだ。
こうした貧困に耐えるということ、それはべつに明治維新に限らず、何か世直しにかかわる運動をやらずにはいられなくなる、そんな気分がひとりでに湧いてくるのである。
昔は日本の家はどこも貧相だった。民俗学者の柳田国男の妻の自殺もそれが原因だったのではないかと、谷沢永一が言ってます。
2018年1月8日に 「柳田国男の妻の自殺」 と題して谷沢永一の発言を紹介しました。コチラです。↓
https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12334461174.html
4月9日 多摩森林科学園(東京・八王子)にて撮影