「人間の生き方、ものの考え方 学生たちへの特別講義」
福田恆存 (ふくだ つねあり 1912~1994)
株式会社文藝春秋社 2015年2月発行・より
さきほどの原稿を書く数日前ですが、
広島の大学の新聞部からインタビューがあって、八月六日の原爆記念日について意見を聞きたいと言ってきた。
それで私は、「馬鹿もいい加減にしろ」 といったのです。
原爆記念日などというのは負けの象徴であって日本人にとっては不名誉なことなのだ。
あの当時日本でも原爆をつくろうとしていたが、日本人の知能あるいは経済力とかいったものがアメリカよりも劣っていて、要するにアメリカの方が先につくってしまった。
それで原爆を落とされたということは、日本にとって特権ではなくて屈辱なのであって、恥ずべきことはあんまり大げさにしないほうがよろしい。
ましてそれを記念日にすることはない。
記念日にするのならひそかに自分の心の中で、「これからやっつけてやろう」 ということで記念日にするのならいいが、そうじゃなくて 「広島から世界に平和を」 というような思いあがった気持ちは一体何か、原爆を落とされるような人間に原爆を止めさせる力がありますか、そんなことは決してありえないと私はその学生にいったのです。
「あれは商売でやっているのだから、そんなものは相手にする必要はない、私は平和記念日とか平和というものに興味をもっていない。もっと大事なことはたくさんある。第一 平和というのは一体何だ、平和になったらどうなったのだ、平和というのは戦争がないということにすぎないのだ、それよりも大事なことは愛とか信頼とかいうものの回復ではないか、それは戦争とか平和とかいうことと全然次元が違うもので、戦争のときにも平和のときにもその問題は依然として存在する。むしろ戦争のときにかえって自己犠牲とか愛とか信頼とかいうものが強く発揮されることがある。だからといって、私は戦争のほうが平和よりいいとは言わない。しかし、平和ということ自体には何の価値もない」
というようなことを言うと、その学生はびっくりして、
「そんなことはいままで誰も言わなかった」 という。
つまりそんなことを言うのはタブーになっているからであります。
5月11日 光が丘 四季の香ローズガーデン(東京・練馬)にて撮影