武家と町人との差別・渋沢栄一 | 人差し指のブログ

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渋沢栄一 徳育と実業 錬金に流されず

渋沢栄一(しぶさわ えいいち 1841~1931)

株式会社 図書刊行会 2010年9月発行・より

 

 

 

 その頃、商人と役人との社会的階級の違いは相当なもので、役人と商人とはたいてい同席して談話することはなかった。

 

 

極言すれば、ほとんど人間同士の交際はなかったのである。

 

 

江戸ではそうまでではなかったかもしれないが、私の郷里などでは差別がはなはだしかった。(郷里は今の埼玉・深谷~人差し指)

 

 

とくに小さな藩主の代官などは非常に威張り散らし、通行の際には百姓や町人は土下座(どげざ)をさせられた。

 

 

そのくらいだったから、江戸でも身分の高い武家が商人を待遇する時にはもちろん席を別にして 「どうだな、機嫌はよいかな、家柄は無事か・・・それはめでたい、市中の景気はよいか」 といったような有様だった。

 

 

 いくらその頃の商売人と言ってもそれほど馬鹿ではなかったが、あごで人を使う武家もそれに頭を下げる町人も、悪く言えば互いに欺きあっていたのだ(ママ)

 

 

しかし町人が武家に向って弁論するとか、意見を戦かわすとかいうことは少しもできたものではなく、もし武家から無理なことを言いつけられても、「でもございましょうが、いずれよくよく考えて申し上げます」 といった程度のあいさつをして、同意できないことに対してはその場を済ませた

ものである。

 

本当に、町人の武家に対する態度は非常に卑屈だった。

 

 

                                       

 

 

上の話とは違うことを山本七平が言ってました 「江戸時代の変な三権分立」 と題して 2016年6月6日に紹介しました。コチラです。↓

 https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12158109117.html

 

 

 

明日、 6月13日に 渋沢の故郷近くの下級武士が幕末に書いた絵日記を紹介します。

渋沢栄一の言っている事とは大分違うような話が出てきます。

 

 

 

 

3月31日 光が丘公園(東京・練馬)にて撮影