「明治天皇を語る」
ドナルド・キーン
株式会社新潮社 2003年4月発行・より
同じ時代にドイツ、ロシアにも皇帝がいました。
かなり調べてた上でのことですが、私に言わせれば、
ドイツの皇帝ヴィルヘルム二世は人にあらず。
本当に恐ろしい人物で、いいところは一つもない。
黄色人種の侵略からヨーロッパを守る、キリスト教文化を蒙古人種の侵略から守ることがロシアの使命だ、とロシア皇帝ニコライ二世を煽動するような人物がドイツ皇帝として勝手に悪い政策を取っていたのです。
もちろん黄色人種や蒙古人種とは日本人のことです。
ニコライ二世は人物としてそれほど憎むべき人ではなかったかもしれませんが、非常に意思の弱い人でした。
しかし野心はありました。司令官になるべき将軍らの任免を強要したり、個人的な感情に左右されて適任者を選ばなかったりした。
彼は日露戦争が起こったとき、大変喜びました。
日本人を軽蔑していたからです。日本人のことをヒヒと言っていたくらいです。日本人はサルのような、非人間的なものだと思っていた。
そのため側近たちが戦争の敗北を感じ講和に傾いても、最後まで皇帝はこれ以上兵士の命を無駄にしないためにも戦争を終結しよう、などとは考えませんでした。
そういう人物たちと明治天皇とを比べると、世界には本物の皇帝は、明治天皇一人しかいなかったということがわかります。
明治天皇に感心すべきところはかなりあると思います。
一つは、消極的な話になりますが、総司令官である大元帥だったにもかかわらず、一度も戦争の作戦に干渉したことがないことです。
ヨーロッパの皇帝などはしょっちゅうやっています。
自分たちの好き嫌いで、この人は連隊長にしろといった命令を出していました。
しかし明治天皇はそういう権利があったけれども、まったく行使していません。これは偉いことです。誘惑はあったはずです。
どこの国の人であっても総司令官になる人は、その力を使ってみたい。
自分はどんなに力を持っているか試してみたい。
そういう気持ちは非常に人間的なことですが、明治天皇は権力を行使しませんでした。
明治天皇の要請に対する側近たちの振る舞いがよい例でしょう。
普通に考えれば、天皇の依頼なら引き受けるほかありません。
ですが天皇が誰某に首相をさせたいといっても、当人は平気で断っている。
体調が優れないというような健康上の理由を付けて、天皇の意思に逆らっています。
(略)
これまで何度も強調してきましたが、大帝たる最大の理由は絶大な権力を持っていながら行使しようとしなかったことです。
たとえば戦争の時に、彼が地図を見ながら、この連帯はここに配置したらどうか、と言ったとする。
まわりは命令と思い誰も反対することなど出来なかったはずです。
一方で彼は大元帥なのだから指揮すべきだったと、まったく干渉しなかったことを批判する人もいる。
それに比べ、先に述べた同時代のロシア皇帝ニコライ二世はひどかった。
叔父のために便宜を図ってくれたというだけで、何の軍事的才能もない人物を極東総司令官にする。全く無責任なことです。
ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世もひどい。
ドイツ軍を清国に派遣する際、「捕虜にする必要はない、みんな殺せ、ドイツ人がどんなに恐ろしいものか清国人に知らしめてやれ」 などと言う。
よくもそんなひどいことが言えるものです。
同時代の朝鮮の国王(高宗(コジョン))は逆に、私が書物を読んだ限り弱々しい人で、決して立派な君主には見えません。妻である閔妃(みんぴ)のほうが権力を持ち、国王を操り人形のように扱っていました。
明治天皇にはこういった横暴な言動は一度もありません。
やろうと思えばできたことなのです。
かつての天皇であれば話は別だが、十分な権力を持っていながら行使しなかった。