「将来は首相に」予言が当たる | 人差し指のブログ

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『語らなかった皇族たちの真実~若き末裔が初めて初めて明かす「皇室が2000年続いた理由」~』

竹田恒泰(たけだ つねやす 昭和50年~)

株式会社 小学館 2006年1月発行・より

 

 

 

 東久邇宮を誰よりも強く推薦したのは木戸幸一その人だった。

 

木戸の説明はただ天皇の思召(おぼしめし)を代弁しているのではなく、自らの強い気持ちを込めたものであり、宮の気持ちを動かすには十分だった。

 

 

 東久邇宮は考えた。

自分は政治向きには素人であるが、懇意にしている近衛文麿(このえふみまろ)元首相を相談役にすることで、まとまりをつけることができるだろうし、軍の統制についても軍部内の知人の協力を得て説得できるだろうと考えた。

 

 

そしてこの終戦直後の大混乱さえ突破すれば自分の後を継ぐ政治家が現れるはずだと思い、ついに今までの考えを翻して総理の重職を受けることに決心する。

 

 

「組閣の大命を受けましょう」 という宮の答えに木戸が喜んだことは言うまでもない。

 

(略)

 

 組閣初日のこの日、東久邇宮は午前2時頃に麻布(あざぶ)の住友家に帰宅した。既に新内閣のおおよその顔ぶれが見え始めていた。

 

 

組閣本部の赤坂離宮から霊南坂(れいなんざか)辺りまでは完全な焼け野原になっていたが、灯火管制中であるため、街は暗闇に支配されており、空の星ばかりが輝いていた。

 

 

 

 疲れきった東久邇宮は午前3時に寝床に就くもなかなか寝付かれない。

 

 

 

宮は床の中で、四半世紀にフランスに留学していたときの、ほとんど忘れかけていた奇妙な体験をふと思い出した。

 

 

当時パリに評判のよい老婆の易者がいて、まだ30代半ばの東久邇宮がふざけ半分でその老婆を訪ねたときのことである。

 

 

宮は自分のことを 「日本の画家である」 と言って身分を隠したところ、

老婆は手相を見るなり 「それはウソだ」 と言い、

続けて 「あなたは、将来日本の総理大臣になる」 と断言したという。

 

 

宮は、自分は日本のプリンスであり、政治にかかわることは禁じられているから、総理大臣などにはなれないと説明したのだが、

老婆は引き下がらず 「いや、今に日本には大革命か大騒動が起こる。

そのときに必ずあなたは総理大臣になる」 と言い張った。

 

 

東久邇宮はこの話をすっかり忘れていたのだが、老婆の予言が当たり

「薄気味悪く感じた」 と日記に記した。

 

 

 

                                                                                                    

 

 

 

3月26日 北の丸公園(東京・千代田区)にて撮影