「東北・九州の兵隊」と「関西の兵隊」その二   | 人差し指のブログ

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「人間はなぜ戦争をやめられないのか    平和を誤解している日本人のために

日下公人(くさか きみんど 昭和5年~)

祥伝社平成16年5月発行・より

 

 

 

 

  ニューギニアなどの南方諸島に、突然上陸してきたアメリカ軍を迎え

撃った時の話が面白い。

 

 

大本営は 「所在の部隊はただちに全力をもって反撃し、敵を撃滅せよ」 と指令するが、「はい、やります」  ということになれば、たちまち粉砕されて三日で日本兵が一人もいなくなる。

 

 

 

 敵は船で来て、戦車を上陸させ、沖合には陸上射撃の軍艦が並んでいるのだから、無理な話だ。

 

 

これを”机上作戦命令”という。

 

 

 

 その時、真面目にやるのが東北の兵隊で、大阪の兵隊はやらない。

 

 

命令を受けとっても、「そんなアホな。三日で全滅やないか」 と、無駄なことはしない。

 

 

軍艦はそれほど長くいられない。

十日もすれば敵の軍艦は帰るだろう。

それからやろう、となる。

 

 

 電報では 「ただちに所在の全兵力を挙げて反撃」 とか 

「ただいま兵力集結中」 などと報告して、十日間は動かない。

 

 

矢のような催促が来たって知らん顔。

それが大坂の兵隊だった。

 

 

 

 服部作戦課長は 「東北・九州の兵団は本当に突撃して玉砕するが、大阪・京都の兵団は半月も経ってから 『次は何をすればよいか』 という電報を打ってくる。まだ残っていたかと思うと嬉しかった」 と書いている。

 

 

 戦後、高級軍人の回顧録に 「胸中を察してほしかった」 というような記述がある。

 

 

つまり、本当に総攻撃をすると思って指令を出していなかった。

 

 

部隊の側も理解してくれるだろうと思っていたのに、突撃してしまったというのである。

 

それほど硬直した組織になっていた。

 

 

 

 実際、大坂兵団は玉砕せずアメリカに手間をかけさせているのだから、役に立っていた。

 

 

結局は大坂の兵隊のほうが強かった ということでもある。

 

 

 東北・九州の兵隊が強いというのは、上級司令部の命令が適切な場合のことである。

 

 

命令のとおりやってくれれば必ず勝つ、と上級司令官が自信を持っている場合のことである。

 

 

大坂の兵隊は自分で勝手に解釈して行動するから、全体の計画が狂う。

 

 

 しかし、そもそも全体の計画自体が存在しない時は、大坂の兵隊の”機転” 功を奏することになる。

 

 

大本営の人が、命令に従わない関西人軍団を 「役に立ってくれた」 と誉めているところが面白かった。

 

 

 

                                                                                        

            

 

東北・九州の兵隊」と「関西の兵隊」 の その1は 2018年3月5日に紹介しました。コチラです。↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12356447192.html

 

 

 

 

                          奈良市内にて 8月6日撮影