「わたくしたちの旅のかたち」
兼高かおる(かねたか かおる) / 曾野綾子(その あやこ)
株式会社 秀和システム 2017年2月発行・より
<曾野> アメリカで、給水器からお水を注ぐ方法がわからなかったお話をしましたが、一度覚えてしまえば、あんなラクで簡単なことはありません。
後に香港へ行ったときのことです。
列車のなかで少年が熱湯をやかんに入れて運んできてくれたのですが、かなり高い位置から正確に湯呑み茶碗にお湯を注ぐのを見て感心したことがあります。
ただ、これがアメリカなら、絶対に少年にそんなことはさせないだろうと思いました。
それより、カップを置けば適当な量だけ熱湯が出る機械をつくるはずです。
いかなる凡庸な人でも等しくできるように、すべてを大衆化させていったのがアメリカという国です。
<兼高> やはり、移民の国ですから、異なった背景を持った人でも、誰もが簡単に作業できる必要に迫られた。
だからこそ、マニュアル文化が発達したのだと思います。
<曾野> 戦後かなりたってからですが、名古屋の三菱重工でアメリカが設計したジェット戦闘機の組み立てが行われました。
自衛隊に納める前にそのテスト飛行をするというので、取材に行ったことがあります。
パイロットは、飛行服の膝の下あたりに、非常事態のケース別対応策を書いた「Emergency Checkbook」 という小さなノートを入れていました。
これは、たとえば、「右翼から火が出た」 などという緊急事態があったとき、「1 〇〇をする」 「2 〇〇をする」 と、細かく手順を書いたもの、
緊急時には、その通り一つひとつ実行していけばいいという、
まさにマニュアルです。
パイロットの方にうかがって印象的だったのは、このマニュアルは、絶対に暗記してはいけないということでした。
覚えると手順を抜かしてしまうこともあるので、かえって危険だからだそうです。
<兼高> 人間ですから、気が動転したら記憶が飛んでしまうこともあるし、何をしでかすかわからない。
人間の頭のほうを、信用していないわけですね。
<曾野> まさに、そうなんです。
アメリカのハイウェイには、そのことがよくあらわれています。車を走らせると、誰でもつい 「抜いてやれ」 と思うでしょ。
そうやって無茶な追い越しをかけ、対向車線を越えて走るバカを防ぐために、中央分離帯を設けるようになったんです。
これで少なくとも正面衝突は避けることができますから。
こういうことを考えついたのが、アメリカの偉大さだと思っています。
<兼高> 危機管理という意味では、確かに進んでいるのかもしれません。
<曾野> わたくしね、小さい頃、母からよく 「才覚がない」 と言われていたんです。
才覚がないとは、ぼんやりしているということです。
たとえばお客さまがいらしたら、先にお手拭きを持って行ったらいいか、お茶をお持ちするのがいいか。
そういうことに気を回して、臨機応変に対応するのが才覚です。
けれど、アメリカ式のマニュアルは、その才覚がいりません。
パイロットの緊急事態マニュアルを見たとき、日本式の 「才覚が重んじられる時代」 から 「才覚がなくても大丈夫な時代」 へと、世の中が変わったのだなぁと妙に感心しました。
<兼高> 今では日本もマニュアル社会です。
<曾野> そうですね。アメリカ式の 「マニュアル」 と 日本式の 「才覚」。 これは比較すべきものではないのかもしれません。
いっとき、わたくしはアメリカ式の合理的なものの考え方を高く評価しました。
けれど、最近では日本式の 「才覚」 の部分も大切かなと思うようになりました。
わたくしが危なっかしい手つきでお茶を淹れると、母はよく 「気をつけて。やけどをするのは、あなたがバカなのです」 と言いました。
やはり、人間としての賢さは、機械や人任せにせず、自分の頭で判断しなければ養われないものなのでしょう。
同じような事を司馬遼太郎も言ってました。 2016年4月18日に
「玄人を否定するアメリカのやり方」 と題して紹介しましたコチラです↓
https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12144720395.html
昨年11月27日 平林寺(埼玉県新座)にて撮影