「日本人は知らなすぎる 聖書の常識」
山本七平 (やまもと しちへい 大正10年~平成3年)
株式会社講談社 昭和55年10月発行・より
イエスが処刑されたのが紀元30年、皇帝ネロによる迫害が紀元64年。
これはまことに不思議な現象といわねばならない。というのはイエスの死後わずか34年で、キリスト教は、ローマにおいて、弾圧に価する宗教団体となっていたのである。
「弾圧に価する」 とは少々奇妙ないい方だが、これは皇帝ネロが、「ローマの大火災はネロの放火」 として憤激する民衆を鎮めるため、キリスト教徒を放火犯人に仕立て処刑した事件だからである。
(略)
わずか34年、これはガリラヤに発生した旧約の宗教、むしろユダヤ教の一分派ともいうべきキリスト教が、帝国の首都ローマにまで進出するには、あまりに短い期間といわねばならない。
とくに通信にも流行にも制限があり、マスコミもない当時である。
そこでこれを 「謎の34年」 という人がいても不思議ではない。
(略)
このような前提があったとはいえ、前記の34年は余りにも早すぎる。
では理由はなにか。
宗教が伝道なしで広まることはない。
そしてここに登場するのが、おそらく人類史上最大の伝道者と思われるパウロであった。
「パウロなくしてキリスト教なし」 ということは確かにいえる。
その意味では彼は、以後の西欧文明の方向を定めた、
というより、世界の文明の方向を定めた人といえる。
(略)
生まれは紀元五~六年ごろ(?)、六十四年のネロの迫害で処刑されたものと思われる
彼は若き熱心なパリサイ人として、最初はキリスト教迫害の側に立ち、
ダマスコ郊外で劇的な回心をしたことは、使徒行伝に三回も出てくるが、
彼自身は手紙の中でこれについては何も書いていない。
(略)
彼は生前のイエスには会っていない。
しかし何かの特殊な体験で、キリストを啓示され、復活の主に会ったという確信は生涯、動かすことのできない確信であった。
(略)
キリスト教とユダヤ教の分裂は、実にパウロに始まるといってよい。
今でも、ユダヤ教はイエスまでをヘブル思想史に入れるが、パウロは入れない。
またイスラム教徒はイエス(イサ)をマホメットにつぐ最大の預言者とみるが、パウロはまったく評価していない。
「日本人のためのイスラム原論」
小室直樹 (こむろ なおき 1932~2010)
集英社インターナショナル 2002年3月発行・より
ユダヤ教に由来する律法から、キリスト教が完全に自由になったのは
パウロの時代に入ってからだった。
キリスト教はイエスが創始したものだが、その教えを完成させたのはパウロである。パウロなくして、今日(こんにち)のキリスト教はありえない。
パウロはパリサイ人の家庭に生まれ、自分自身も律法に忠実であった。
成人してからは律法を守らないキリスト教を迫害したが、あるとき回心
(コンバージョン)を経験してキリスト教に改宗。以後、熱心な伝道者となってエーゲ海一帯などを回る。
最後には皇帝ネロによって処刑されたと言われている。
そのパウロは律法について、こう断じた。
「ひとが義(ぎ)とされるのは、律法の行いによるのではなく、
信仰による」 (「ローマ人への手紙」3-28)
律法を行ったからといって、それで人間は救われるわけではない。大切なのは、行動なのではなく、心の中にある信仰なのだというわけである。
このパウロの宣言によって、キリスト教は律法、すなわち規範と完全に決別(けつべつ)した。つまり、無規範宗教になった。
では、いったい、なぜ、パウロは律法遵守(じゅんしゅ)を全否定したのか。その理論的根拠となったのは何か。
それは 「原罪」 である。
イエスの教えを理論化するにあたって、パウロが着目したのは旧約聖書の冒頭に記されたアダムとイブの物語である。
ご存じのように、人類の始祖であるアダムとイブは、禁断の木の実を食べたために神の怒りを買ってエデンの園から追放された。
この楽園追放の結果、人間は原罪を背負うことになった。
アダムに向かって、神はこう言った。
「お前はこんなことをしたからには、
他のすべての家畜や野の獣よりも呪われる」(「創世記」3-14)
この楽園追放の物語は旧約聖書の冒頭にある話しだが、
以後、旧約聖書のどこにも出てこない。
実ははユダヤ教においては、この物語はほとんど重きを置かれていなかった。ユダヤ教徒にとっては、単なる伝説か、おとぎ話のようなものだと思われていたのである。
その 「忘れられた物語」 に光を当て、キリスト教の中心に据えたのは、まさしくパウロの功績であった。
パウロによれば、人間はすべて神から与えられた原罪を背負っている。
つまり、不完全な存在であり、かならず悪いことをしてしまう生き物なのである。
こんな人間に、神が与えた律法を守れるなずがない。
律法は 「よいことをなせ」 と人間に命じているが、原罪のある人間によいことができるわけがない。
いくら律法を真面目に守ろうとしても、人間はかならず欲望に負け、
悪をなしてしまうのである。
しかし、だとすれば、いったいなぜ神は、守れるはずのない律法を人間に与えたのか。
そこでパウロは、こう考えた。
すなわち、律法を守れないことで、人は自分が原罪を持った存在であることを思い知る。いくら努力しても、自分の力だけでは救われることができないことを痛感する。
だから、そこではじめて神を心の底から信じようと考える。
神が律法を与えたのは、まさにそのためではないか・・・・・。
このパウロの論理によって、もはや律法は完全に意味を失(うしな)った。
大事なのは、外面的な行為ではない。
本当に大切なのは、神を信じ、イエスを信じ、自分の罪を自覚することにある。
人間は信仰によってのみ救われるのだ この思想はもちろんイエスの中にもあったものだが、それを明快に説いたのはパウロなのである。
パウロなくして、今日のキリスト教はありえなかったと先ほど記した。
その理由の一つは、まさにここにある。
パウロ以前のキリスト教は、ユダヤ教の一分派(いちぶんぱ)、異端のように見られていた。
しかし、パウロが規範を明確に否定し、原罪をその教えの中心に据えた。
このときをもって、キリスト教はユダヤ教と決別したのである。
昨年11月27日 平林寺(埼玉・新座)にて撮影