「戦国の群像」
小和田哲男 (おわだ てつお 1944~)
株式会社学習研究社 2009年6月発行・より
薩摩島津氏の家老上井寛兼(うわいかつけん)には有名な 『上井寛兼日記』 のほかに 「伊勢守心得書」 というものがあり、その中で、武士として欠かすことのできない教養についてふれている。
ウィキペディアには上井寛兼は(かくけん/さとかね/?~1589)と記されている(人差し指)。
寛兼が第一にあげているのは和歌と連歌(れんが)の心得で、和歌の場合、単に歌をよむだけではなく、『古今和歌集』 などをマスターする必要性を述べている。
ついで、有職(ゆうそく)と書札礼(しょさつれい)をあげている。
有職というのは有職故実のことで、いわば先例に関する知識をさしており、書札礼は手紙を書くときの心得である。
つぎは、今日的感覚だと教養というよりスポーツの範疇(はんちゅう)に入るが、寛兼自身は馬術・弓術・剣術に力を入れていたようで、
剣は塚原卜伝流と新陰流を習っている。
その他、鷹狩り・鵜飼い・釣り・狩りなどもあげている。
ここらになると趣味ととの線引きがむずかしくなってくる。
寛兼本人は蹴鞠(けまり)はやらなかったが、庭には蹴鞠の場所だけは作らせていた。
「伊勢守心得書」 にはその他、「乱舞(らんぶ)」 「立花(りっか)」 などがみえる。
「乱舞」 は舞のきまりに拘束されない自由な形で舞うというもので、
「立花」 は華道である。 池坊流を習っていた。
なお、「伊勢守心得書」 には茶の湯のことはみえないが、『上井寛兼日記』 には、大きな戦いのあとには同僚を招いたり、同僚に招かれたりして茶の湯をたしなんでいたことがわかる。
その他、注目されるものとしては 「盤上の遊」 を教養としていることである。
囲碁とか将棋で、実際、戦国武将の城跡や居館跡の発掘現場から、碁石や将棋の駒が出土しているので、かなり流行していたものと思われる。
「盤上の遊」 として双六(すごろく)があるが、寛兼は、双六は音がうるさいし、博奕(ばくち)の勝負になりやすいという理由で禁止している。
(略)
伊勢貞仍(さだより)(?~1590/人差し指)が著した 「宗五大草紙(そうごおおぞうし)」 に、「包丁」 を武士の教養としていたことがみえる。
(略)
客を招待するとき、そこの主人が調理した料理を出すことが最高のもてなしと考えられていて、男が台所で包丁を使っている様子は絵画資料にもみられる。
昨年11月27日 平林寺(埼玉・新座)にて撮影