「日本人のためのイスラム原論」
小室直樹 (こむろ なおき 1932~2010)
集英社インターナショナル 2002年3月発行・より
およそこの地球上で、ムスリムほどきれい好きの連中はまずいないだろう(ただし、例外として、日本人もきれい好きである)。
というのも、イスラムの規範では一日五度の礼拝をする祭に、
体を清浄(せいじょう)にしておくべしとされている。
「何が清浄で、何が不浄か」 についても詳細な規定があるのだが、
たとえば、汚(きたない)手でコーランを触(さわ)るのは御法度(ごはっと)である。
ことに、モスクで礼拝を行う前には清浄でなければならない。
そこでモスクのまわりには公衆浴場が造られるようになり、自然とムスリムには清潔を愛する習慣が定着したというわけだ。
これに対して、近代以前のヨーロッパでは一年のうちに数回しか
風呂に入ったことがないという人間は、王族・貴族の中にもゴロゴロいた。
いや、ふつうであった。
そこで体臭をごまかすために香水が発達したのは読者もご承知のとおりである。
それにしても、ヨーロッパ人の風呂嫌いは、日本人の想像を絶するものがある。
たとえば、エリザベス一世のライバルとして有名な、スコットランド女王の
メアリー・スチュワート。この美貌の悲劇の女王は、
一生のうち、たった二度しか入浴しなかったと言われている。
日本とは違って、スコットランドの乾いた空気と気候は、あまり入浴の必要もなく、彼女の裳裾(もすそ)の下から覗(のぞ)くシュミーズは、煮染めたような色になっていた。
それがあんまり強烈な印象だったので、そこで当時、ベージュ色のことを 「スチュワート・カラー」 と呼んだとか。
また、その息子ジェームズ一世は、生涯に風呂は一回とか。
王様の手にキスする臣下(しんか)に同情したくもなるのは人情か。
いやはや、昔日(せきじつ)のアラブ人が 「汚きこと、クリスチャンのごとし」 と言ったわけがよく分かるというものではないか。
昨年11月21日 国立博物館(東京・台東区)にて撮影