「西洋人の神道観 日本人のアイデンティティーを求めて」
平川祐弘 (ひらかわ すけひろ 1931~)
河出書房新社 2013年5月発行・より
明治初年の日本の俊秀はフランス語を死に物狂いで勉強しました。
ナポレオン法典を直訳してそれを施行すればよいという急進派も、
日本社会の現状に留意して民法を作るべきだという保守派も、
外国語をよく勉強した。
特にその後者の人たちはフュステル・ド・クーランジュの 『古代都市』 を読んだ。
この本が日本の法学者に非常なインパクトを与えたのは、
そこに描かれているキリスト教以前の古代地中海世界の死者に対する
感情や祖先崇拝の気持ちがいかにも日本人の感情や気持ちにそっくりで、それに心打たれ。
日本は西洋キリスト教社会とは違う社会であると自覚させられたからです。
(略)
フュステル・ド・クーランジュは1830念の生まれで1889年に亡くなりました。
1864年に 『古代都市』 La Cite Antique を出しました。
古代都市とは狭義にはキリスト教以前の地中海周辺の都市国家、いわゆるポリスですが広義には古代世界の意味です。
(略)
『古代都市』 が日本の法学者に非常なインパクトを与えたのは、そこに描かれているキリスト教以前の地中海世界の死者に対する感情や祖先崇拝の気持がいかにも日本人の感情や気持ちにそっくりで、それに明治の学者は心打たれた。
故人を偲(しの)ぶの情、埋葬の意味、霊魂についての考え方、
人は死んで神になるという考え、祖先の墓を大事に守らなければならぬとする家族の義務、その家族の断絶をおそれ家を大切にする気持ち、お燈明(とうみょう)や竈(かまど)の火、お墓へのお供え、亡霊、怨霊、祟(たた)り (略)
著者のフュステルは古代地中海世界社会、ギリシャやローマの制度や法を理解するためには彼らの古くからの信仰を理解せねばならぬという見地から出発した。
古代の地中海の人々は、人間はこの地上で生を終えたらそれですべて終わりとは考えなかった。
といっても別にで輪廻(りんね)や生まれかわりを信じたわけではない。
魂が昇天するとは考えなかった。人は死んでも魂は地面の下で生きている、と漠然と観じていた。
そのような 『古代都市』 の内容に接するとなんだか日本の事かと思われてくる。
(略)
私は第一話でフュステル・ド・クーランジュの 『古代都市』 にふれ、明治の法学者たちがそこに描かれているのは古代の地中海世界のことではなく明治の今の祖先崇拝に基づく日本社会のことかと驚いた、と申しました。
しかしそのように思った人は日本人以外にもいた。
それがラフカディオ・ハーンです。
ハーンは英語作家ですがフランス的教養の深い人で、
北アメリカではいまなおフランス文学の翻訳者としても知られています。
(略)
ここに記述されたキリスト教化される以前の地中海世界の人の祖先崇拝は日本人の祖先崇拝にいかにも似ていると私も感じました。
ハーンもその相似形に驚いた。
(略)
ハーンは自分の母の国ギリシャの昔と自分の妻小泉節子の国日本の今とかくも共通点が多いと知ってさらに恍惚(こうこつ)としたに相違ない。
このような話もあるのでご紹介を・・・・・・・・
「父の哲学」
渡部昇一 (わたなべ しょういち 1930~2017)
株式会社幻冬舎 2008年3月発行・より
キリスト教が入る前の、ゲルマン人の諸部族の族長の系図を見て、私は日本の天皇家の系図との類似性に気付いたのである。
ゲルマン人の族長の系図も天皇家の系図も、さかのぼると神々の系図に連なっているのだった。
さらに調べてみると、印欧諸民族の族長についても同じことがわかった。
たとえばギリシャでは、かのトロイ戦争における
ギリシャの総大将アガメムノン王は、祖父の祖父くらいに代で、
神話のゼウスの神に系図上で連なっている。
しかし、どの神々に連なる系譜も、
ヨーロッパではその末裔(まつえい)が後に自然と消えてしまうのである。
これは、国境を越える一神教が入ってきて、
先祖崇拝を基本とした民族的宗教を淘汰してしまったからだと思われる。
それに対して日本の天皇家は神話の、
天照大神(あまてらすおおみかみ)に連なるとされる皇室が、初代神武天皇
以来、万世一系的に王朝の交替なしに、今日まで続いているのである。
上野公園(東京・台東区)にて 昨年11月16日撮影