~ この頃はアレでしょうね、中国はまだ貧乏だったから、日本の技術や資本が欲しくて、こんな事を言ってたんでしょうね ~
「日本と台湾 なぜ、両国は運命共同体なのか」
加瀬英明 (かせ ひであき 1936~)
祥伝社2013年9月発行・より
私が中国に招かれて、はじめて北京を訪れたのは、1979年(昭和54)年で、華国鋒時代だった。
人民解放軍の李達副参謀総長が、天安門広場に面する人民大会堂で歓迎晩餐会を催してくれた。
李達将軍は中国でよく知られた軍人で、八十代だったが、毛沢東の大長征の戦友だった。
当時、人民解放軍は階級を廃止していたから、階級章がなかった。
高級な服地で、仕立てのよい軍服によって、肥満体を包んでいた。
茫洋とした、大人の風格があった。
山海の珍味が、つぎつぎと運ばれた。
李達副参謀総長が隣に座って、新しい料理が供されるごとに、長い箸を使って、皿によそってくれたが、とても食べきれない量だった。
私は大長征時代について、たずねた。
李達副参謀総長は、日米安保条約を高く評価した。
そのうえで、日本が三木内閣以来、防衛費をGNPの1パーセント以内に抑えていたのに、不満を唱えた。
現実にそぐわないといって、2パーセントまで増やすべきだと述べた。
もっとも、その前年に鄧小平副主席が来日して、福田赳夫首相と会談して 「日米安保支持や、自衛隊強化論はおかしいという人がいるが、そういう人こそおかしい」 と発言し、安保反対、非武装中立を旗印にしてきた社会党と総評に、衝撃を与えていた。
中国共産党はその直前まで、日本を 「帝国主義者」 「軍国主義者」 と、痛罵(つうば)していた。
これらの発言を、日本の社会党や、共産党は中国を模範として、擁護していた。
ところが、突然中国の副主席が東京に現れ、自民党の福田首相を抱擁して、日本を 「師」 と誉めたたえ、中国が 「生徒」 だといって自己批判し、防衛費を引き上げて欲しいと求めたのだから、狼狽(うろたえ)た。
~ それで経済が興ると反日運動が興るでしょう ?
最近、反日運動が下火になってきたので コレは中国の経済が悪くなってきたなと私は思っています ~
ロダンのカレーの市民 西洋美術館(東京・台東区)にて11月21日撮影