「お言葉ですが・・・・④ 広辞苑の神話」
高島俊男(たかしま としお 1937~)
株式会社文藝春秋 2003年5月発行・より
三年前、江藤総務庁長官の 「失言」 が新聞に出たのを、
小生はだいじにとってある。
新聞に出たのは 「要旨」 だが、それでも相当長い。
これはその一部。
<日韓条約は日本が悪かった。日本が強引に判を押させたから、
軍を配置して暴動を起こさせなかった。
民族を統合するというのは、そりゃ反対がある。
しかし日本はいいこともした。全市町村に学校をつくった。
高等農林学校をつくり、ソウルに京城帝国大学をつくり、
一挙に教育水準を上げた。
まったく教育がなかったわけだから。鉄道五千キロ、道路一万キロ、港湾の整備、開田、水利をし、山には木を植えた。
いいこともやったが、誇り高き民族への配慮を欠いた。
それが今、尾を引いている>
こんなに筋道の通った、情理ともにかねそなえた発言でも、
口にした者は袋だたきにあい、大臣をやめねばならなくなる。
今の日本はそういう国なのだ、ということがわかるのも、
発言のおかげである。
こうした発言を大仰にとりあげてさわぎたてるのは、
某A新聞や某M新聞である。
その際、たとえば右の発言であれば、「誇り高い民族への配慮を欠いた」 という一句だけをかかげた、悪逆非道、天人ともにゆるさざる言いぐさとほえたてる。
秦郁彦さんによれば、こうした 「失言」 事件はちゃんと新聞がわにマニュアルがあって、⑴ 事前に某国の新聞に予報しておく、⑵ 「失言」 が起きるや某国サイドが 「妄言」 とさわぎたてる、⑶ 失言者が抗弁する、⑷ 日某両マスコミの大合唱へ、⑸ 閣僚の更送、というステップを踏むのだそうだ。
これら日本の新聞は決して孤立しているのではない。
ことに某A新聞なんぞは何十万か何百万かの熱烈な支持者に守られていて、ひとたびこういう報道をすると、憤激の投書が続々寄せられて紙面をかざり威容をしめす。
日本の言論界はそういうしくみになっているのだということを如実に知ることができるのも、そうした発言があったればこそである。
(’98・10・29)
5月18日 光が丘公園(東京・練馬)にて撮影