『徳川慶喜家にようこそ 我が家に伝わる愛すべき「最後の将軍」の横顔』
徳川慶朝(とくがわ よしとも 1950~2017年9月25日)
株式会社文芸春秋 2003年9月発行・より
初出 1997年10月 集英社刊
徳川慶喜の墓は、谷中の霊園の一画にある。
敷地はかなり広く、正確に測ったことはないが、およそ百五十から二百坪はあるのではないか。
そして、この敷地のなかに、わたしも昇天したおりには お邪魔することになっている。
だから、これも将軍家の名残といえばいえるのかもしれない。
じつは慶喜の墓というのは ちょっとややこしい。
多くの将軍たちが、仏式で葬儀をおこない、上野の寛永寺や芝の増上寺に眠っているのに対し、徳川慶喜家は神道だったため、他の将軍たちと
眠り方が違うのである。
墓のかたちもずいぶん違う。
お参りをするときでも、線香をあげたりはせず、柏手(かしわで)を打って頭を下げるという、よく神社の参拝でおこなう例の方法である。
徳川慶喜は大河ドラマの主役になることに決まったが、あのドラマで扱われると急に参拝者が増えたりするらしい。
だが、そんな にわか参拝者のなかには、
線香をあげて、お経などとなえる人が出てくるに違いないのである。
どうかそれだけは やめていただきたい。
墓地のなかの慶喜が怒り出しても、
わたしはどうしようもできないのだから。
~ 慶朝は昭和50年代に結婚歴があったが、離婚後は独身で養子を取らないことを明言していた。この為 慶朝没後に際して徳川慶喜の直系は断絶することとなる。(ウィキペディアより) ~
東京国立博物館(台東区)にて 5月16日撮影
本館の裏側にある庭園です、普段は入れないみたいです。
本館のバルコニーから撮影しました。