天皇族・南方起源説 | 人差し指のブログ

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本を読んで面白かったところを紹介します

 

 

 

 

「決定版・人物日本史」

渡部昇一(わたなべ しょういち 1930~2017

株式会社 育鵬社 2016年2月発行・より

 

 

 

第一次大戦後、西洋人は日本について知りたがっているけれど、

わからなくて困っているというので日本の政財界がこぞって資金を出して、日本の歴史を本にして出版しようという機運が盛り上がった。

 

 

そのとき、誰に執筆を頼もうかということで白羽の矢が立ったのが原勝郎博士だった。

 

 

そして原博士が日本史を西洋人にわからせるために書いたのが 『日本通史』 で、この本は先に私が序文を書いて 『原勝郎博士の「日本通史」』

(中山理・翻訳/祥伝社)として刊行された。

 

 

『日本通史』 は堂々たる本で、西洋の一流の出版社から刊行された。

 

 

そこで皇室の先祖の話である。

 

日本の歴史を書くとなると当然ながら 「日本人はどこから来たのか」 

という話が必ず最初にこなくてはいけない。

 

そのときに 「天孫降臨」 つまり 「天からやって来ました」 では通用しない。

 

 

そこで原博士はオックスフォード大学の先生にいろいろ相談して、当時の西洋人も納得する学説に基づいて 「南方の海から来たものであろう」

と日本人の起源を記しているのである。

 

 

 

それが南シナなのか、南インドのあたりなのかはわからないが、いずれにしても南シナあたりを仲介して来たのではないかというのである。

 

 

あるいはそれ以前にヒマラヤ南麓あたりから下ってきたことも考えられるが、それ以上の系統になると全くわかっていない。

 

 

 

原博士は南方説の根拠として、家屋が高床式であることを第一の理由として挙げている。

 

高床式という構造は冬の寒さを考慮しておらず、夏の暑さをしのぐことを目的としているからだ。

 

 

第二に、遺跡から発掘される勾玉(まがたま)は日本と百済と南方にしかないという理由を挙げている。

 

これらのことから、日本人の祖先は南方から来たのだろうと推測しているのである。

 

 

 

では言葉はどうなのか。

 

これは原博士の唱える仮説の中でも一番重要なことの一つだと思われるが、天皇族が南から舟に乗って九州にたどり着いたとき、当時そこにいた

民族の言葉を採用したものではないかと推測している。

 

 

 

天皇族というのは元来、少数で舟に乗ってやってきた。

そして先住民族を征服し、その言葉を採用したのではないかというのである。

 

 

もちろん仮説だが、こうした仮説が出るのは、原博士が西洋史の研究者だからである。

 

 

たとえば、今のフランスはもとはガリアであり、ゲルマン語ではない。

そこにフランク族というゲルマン民族が入ってきて自分の言葉を捨ててラテン系の言葉を採用しているのである。

 

 

またバイキングも上陸した土地の言葉を使うようになっている。

 

バイキングはシシリー島まで侵入していたそうだが、そこに入ったバイキングはシシリー島の言葉になってしまう。

 

 

同じようにブリタニアに入ったバイキングは、その土地の言葉になるのである。

 

 

このように少数の征服者が多数を征服したときは被征服者の言葉になるという例を原博士は挙げて、おそらく天皇族もごく少数が舟で上がってきて、九州に住んでいるうちにその周辺の言葉を採用するようになったのであろうというのである。

 

 

この原勝郎博士のヨーロッパ史から見ての類推は、最近いわれるように、日本の原住民族の歴史は非常に古くて相当高い文明を持っていたという仮説とも合致するし、日本語が他のどこの民族の言葉とも関係なく、単語ぐらいしか共通点がないということも納得できるのである。

 

 

                                     

 

9月8日に同じようなことを 『神が降りた浜に「密航者に注意」の看板』

として紹介しました  こちらです↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12308204270.html

 

 

 

 

5月18日 光が丘 四季の香ローズガーデン(東京・練馬)にて撮影