~ 我が家の近くの駅でも、昔、こんなことをやっている外人を見たものですが、最近は全く見なくなりました ~
「聖書の土地と人びと」
三浦朱門・曽野綾子・河谷龍彦
株式会社新潮社 平成13年12月発行・より
本書の単行本は平成八年六月新潮社より刊行された。
<三浦> 東京のターミナル駅なんかの地下でアクセサリーを並べて売っているの、あれはほとんどイスラエルの若者が無銭旅行をしてアルバイトでやっていると言うんです。
えっと思いましたけれども、そういう生きた知識が・・・・・・。
<曽野> どうしてなのですか、そんなに多いのは。
<河谷> イスラエルの若者は、十八歳ぐらいで兵役がはじまり、二十一歳ぐらいで終わります。
男性三年、女性二年。それが終わって、就職あるいは進学する前に世界を見ようというので、昔はアメリカの金持ちの親戚(しんせき)を頼って行った。そしてアメリカからヨーロッパを回ってイスラエルに帰り、ぼちぼち職に就こうか大学に行こうか、これが流行だったわけです。
今の流行(はや)りは、イスラエルを発(た)って香港(ほんこん)あるいはバンコク、最近はシステムができていますので、真(ま)っ直(す)ぐ日本に来ます。
東京では、新大久保あるいは大久保あたりの、昔の連れ込み和風旅館が、今はそういった人たちのねぐらになっています。
そういうところに住み込んで、男と女がペアになって街頭で売る。
このシステムをつくり出したのは、一人のユダヤ人と日本青年。
香港あるいはバンコクあたりから、非常に安く売値の二十分の一ぐらいでその金物細工を仕入れてくる。
イスラエル人の場合、金髪もおりますから、ヨーロッパ系に見えるわけですね。
お酒が入ったおじさん連中なんか、ヨーロッパ系らしい若い女に声をかけられると、幾らでも買ってくれるんだそうです。
純益が、日にだいたい五万から八万、多いときは十万いく。
<曽野> そんなに?大したものですね。
<河谷> 雨の日は抜きにして、三カ月も働くと数百万を握れるわけです。それを持ってアメリカに渡り、ヨーロッパ、世界旅行をして帰って行く。その出発基地として、日本が今、選ばれているわけです。
バブル時代の勢いはないにしても、しかし、
身心の消耗が長くこの仕事をさせない。
<三浦> そんなの聞いても、うそだと思うでしょう。うそじゃないんですよ。この間、そういった店の裏を覗(のぞ)いたらね、手の空いている方が一生懸命読んでいるのが、ヘブライ文字の本だった。
かと思うとね、彼らのピンはねをする男がいるのです。
さる知人というか、私が昔、大学で教えたことのある人間。
大久保に外人専用の、そういう一間の、
部屋が二十幾つあるアパートを所有しているんですよ。
外国人というのは、回転が早くて、ちゃんと払うからいいと言います。
月に二百万、三百万稼ぐユダヤ人グループのピンはねをしている男が現にいるわけです。
そう見てきますと、河谷さんの言うことは確かであって、世界のそうした若者の生活が、今や日本にまで広がっているわけです。
5月7日 光が丘 四季の香ローズガーデン(東京・練馬)にて撮影