『江戸の智恵 「三方良し」で日本は復活』
養老孟司(ようろう たけし)・徳川恒孝(とくがわ つねなり)
株式会社PHP研究所 2010年9月発行・より
<徳川> 江戸時代は官僚が少なく、法律も漠然としたものでした。
「何々法の第何条に違反したかどで逮捕する」 ということではなく、微罪は 「まあいいだろう」 とお目こぼししていたわけです。
お互いに間合いを見ながら付き合うほうが、治世の智恵としては優れていたように思います。
実際、江戸時代には好景気なときと、不作が続いたときとでは、いまでいう行政指導のようなもので対応が変わっているのです。
状況を見て、官僚たちが 「このままではいけない」 と判断すると即、緊急令が出て、現実的な調整が行われました。
たとえば米が豊作のころ、「お酒をどんどんつくりなさい」 というお達しが出ました。
米が市場に大量に流れるようになると、米価が下がり、米を給料としてもらっている武士たちが困るからです。
だから、米をどんどん使ってお酒をつくりなさい、ということになります。
ところが、いったん凶作になると、一転して 「お酒をつくってはならない」 ということになった。
もちろん酒造業界の人たちは困りますが、お酒よりお米のほうが大切なことはわかりますから、納得します。
いずれしても、現実に合わせて利害を調整するためには、あまり細かい部分までを法律で規定しないほうがいい。
法律は一度つくってしまうと、なかなか修正がききませんから、よほど慎重にならなければいけない。
<養老> まさに、全体のバランスを考えよ、ということですね。
法律で部分部分を固め過ぎてしまうと、システム全体としてのバランスがとりにくくなるから、「法律は不合理」 だとよくいわれるわけです。
僕は国家公務員時代に東大にいて、「これ以上の不合理な取り決めはないだろう」 という状況で生きてきましたが、これはおそらく江戸時代のあり方とは対極にあるような気がしますね。
5月18日 光が丘公園(東京・練馬)にて撮影