職人は京都を目ざす | 人差し指のブログ

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パソコンが苦手な年金生活者です
本を読んで面白かったところを紹介します

 

 

 

~文中 「当字だくさん」 という言葉が出てきますが、誤植なのか、昔の言葉なのか、調べましたがわかりませんでした~

 

 

「男女の仲」

山本夏彦 (やまもと なつひこ 大正4年~平成14年)

株式会社文芸春秋 平成15年10月発行・より

 

 

 

<山本>    江戸は政治経済の中心で徳川様のお膝元だから、人が集まると共に金銀も集まる、忽(たちま)ち一大文化圏になったけれども、千年の都、京都にはかなわない。

 

 

職人はは京都を目ざす。大工も建具屋も庭師も江戸で一人前になったら

みんな京都で修業します。

 

すべての道は京都に通じます。

 

 

         千年たったら東京は追いつきますか。

 

 

<山本>     追いつきません。 京都は鎖国同様だったから文化が育ったのです。武野紹鷗(たけのじょうおう)、千(せんの)利休、小掘遠州、みんな京です。

 

 

明治大正になっても経師(きょうじ)屋は京都へいかなけりゃだめでした。

 

平安の昔経師はインテリでした。何より漢字が読めて意味が分からなければ 「写経」 はできない。

 

 

お経は梵語の漢訳だろ、しかも当字だくさん。般若波羅蜜多なんて並の人にはわからないよ。

 

 

わかる人は一流の知識人です。一流の経師を 「大経師」 っていった。

近松に 「大経師昔暦」 って芝居がある、「おっさん茂兵衛」 です。

 

 

 

斎藤隆介さんの 「職人衆昔ばなし」 に、中村鶴心堂という経師の名人が出てくる。

 

 

鶴心堂の姉が漱石の長女の筆子さんとご近所で、京都で修業したい、筆子さんに頼んで漱石に京都一の経師、岡墨光堂(ぼくこうどう)に紹介してもらう。

 

 

京都で一流なら日本で一流です。

 

 

少年鶴心堂は京都へたつ前、お礼を申し上げに漱石を訪ねると妻君の鏡子さんがでてくる。「京都へいって一所懸命勉強して参ります」 というと、

妻君が言うには 「そりゃあんたの勝手よ」。

 

 

         なんてつめたい。

 

 

<山本>    漱石が紹介状書いてやったこと知らないんだろ、出入りの経師屋の若者がどこへ行こうが関心ない。

 

 

いかにも鏡子夫人らしいが、鶴心堂愕然とする、発奮して京都の岡墨堂に日参(にっさん)するが、なかなか弟子にしてもらえない。

 

 

あんまり熱心に通ったので見込みがあるとでも思ってくれたんでしょう、

 

「それじゃ夜具持ってきたら」

 

 

と言われた時は、住込の弟子になれたんだなって天にも昇るような気持、

京都の人はこういう物言いする。

 

 

「考えておきます」。「また春永(はるなが)に」 と言われたら断られたことだそうです。

 

         それは通じなくなりました。

 

 

 

 

5月2日 中央公園(埼玉・朝霞)にて撮影