二・二六事件二つの反応 | 人差し指のブログ

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本を読んで面白かったところを紹介します

 

 

 

 

「国際情勢判断・半世紀」

岡崎久彦(おかざき ひさひこ 1930~2014)

株式会社育鵬社 2015年4月発行・より

 

 

 

二・二六事件には、当時の日本人はみんな大きなショックを受けました。

 

 

日本人は政府を信頼して生きていますから、いくら戦災で焼け野原になっても、原爆が落ちても、最後は政府が救ってくれると思っています。

 

 

世界の人々は、いざというときに備え、宝石や貴金属を持つものですが、日本人は郵便貯金で安心している世界的に見れば珍しい国民です。

 

 

その信頼する政府がクーデターで倒れたのですから、一体これからどうなるのか、という大変な不安を抱いたのです。

 

 

  その年の四月、私は幼稚園に入りました。

当時、幼稚園はまだブルジョア階級の子弟が通うところで、幼稚園に行く子供はほとんどいませんでした。

 

 

私が通った、大森の山王にある 「みこころ幼稚園」 は、戦後、聖心女子学園に必ず入れる幼稚園ということで大変な人気になりましたが、私は二期生で園児はまだほんの数人でした。

 

 

 私の記憶では、入園して母親と一緒に園長さんに会いに行ったときが、二・二六事件の首謀者が死刑を宣告された日で、新聞に死刑を宣告された人の名前が掲載されました。

 

 

陸軍士官学校出身の秀才ばかりだから、

母が 「もったいない、もう立派な方ばかりなのに」 と言いました。

 

 それに対し、園長先生は柳眉(りゅうび)を逆立てて、

「まあ、憎らしい」 と言って鉛筆で顔にバツ印を引きました。

 

 

園長さんの方は、大正デモクラシーのブルジョアの感覚で、岡崎家は大正デモクラシーの系譜を引いていますが、母はすでに昭和維新の雰囲気に順応している世代だったと言えます。

 

 

二つの異なった時流が激しく交錯していたのです。

 

 

 

                                                      

 

 

 

上野にある西洋美術館に初めて来たのは東京オリンピックの翌々年ごろだったでしょうか・・・・・・・ということは、もう50年以状も前になります。

 

ロダンの特別展が開催されていたので、それを見にきたのですが・・・・。

 

人間は妙なことを覚えているもので、館の前で並んでいる時、

暑い日だったので、後ろのカップル(当時の言葉で言うとアベック)が

 「中に冷房は入っているのか?」 というような事を話していたのを今でも覚えています。

 

その頃はまだクーラーなどという物は、ほとんど無い頃で、電車にもバスにもありませんでした。

クーラーがあったのは大きなビルかデパートぐらいだったでしょうか。

 

ロダンの「カレーの市民」 西洋美術館(東京・上野)にて5月16日撮影。