外人が日本に帰化する際 | 人差し指のブログ

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本を読んで面白かったところを紹介します

 

 

 

日本人と中国人の物の考え方の 「異同」 について、次々に興味深い本を書かれている石平(せきへい)氏は、

中国人から日本人へ帰化するに際しての出来事をこう話してくれた。

 

 

 

「日本の当局は私に思想・信条を全然質問しなかった。

それから日本国家の精神に賛成する旨の宣誓をさせることもなかった。

これは中国やアメリカとは全然違っている。

 

 

 

帰化の条件はただ単に日本国内で安定した収入があるのかどうかと、

今までに犯罪歴があるのかどうかだけで、合格すると新しいパスポートをくれる。それで万事終了とは日本人になったという感激が全然ない」

 

 

 

当方も日本人なのは生まれつきだから、感激がないことは同じだが、帰化する人も同じとはたいへん興味深い指摘だった。

 

 

グレゴリー・クラーク氏はこんな話をされた。

 

 

「アメリカ国籍を取るときは、アメリカの憲法を守るとか、自由主義は最高だとか言わされるが、それに合格してアメリカ人になってしまうと、

あとは何を言ってもいいし、何を信じてもかまわない。

 

 

ところが日本の場合は、帰化するときには何も言われないが、

日本人になってからはまわりの締め付けが厳しい、

日本人らしく考え、日本人らしく話をしていないと、どんな目にあわされるかわからないから怖い」

 

 

 

というわけで、石平氏は”日本はイデオロギーや思想信条を問題にしないから、たいへん進んだ国だ”と結論づけ、クラーク氏は”自由がない国だ”と言う。聞いている私は”石平しは国家を問題にし、

クラーク氏は社会を論じている”と感じた。

 

 

日本は社会の締め付けがきついから国家は手放しで、

アメリカは社会が多様だから国家の締め付けが厳しい。

 

 

日本は国民全部の水準が高いから、無説明でも無定義でもお互いの察しあいで事が進む。

 

 

定収の存在と無犯罪歴は帰化申請者がそういう日本人並のレベルに達していることの証明で、それ以上その人の心の内面に立ち入ることはないという立派で自由な国家と社会を日本は完成している。

 

 

「独走する日本 精神から見た現在と未来

日下公人(くさか きみんど 昭和5年~)

PHPファクトリ・パブリッシング 2007年11月発行・より

 

 

4月22日 光が丘 夏の雲公園つばき園(東京・練馬)にて撮影