日本では現在でも木を切るときは、お神酒を木の周りに撒いて木の精に許しを請う簡単な行事がいまだに残っています。
また自分たちが生きるためにやむを得ず命を奪った、魚から鯨までのあらゆる生き物を、しかるべき時に供養して塚を立てるなどして、彼らの霊を慰める数多くの風俗や儀礼を日本人は持っています。
このことに関してまさかそこまでとはと、私ですら驚いた例があります。
それは菌塚です。
人間のために役立って死んだ目に見えない微生物の 「小さき命」 に感謝し、その霊をなぐさめる菌塚なるものが、京都比叡山の西麓にある名刹曼殊院(まんしゅいん)に建立されていたのです。
この菌塚を建てられた元大和化成の社長笠坊武夫氏はこの菌塚建立にいたる経緯を次のように述べられています。
私の一生の仕事とした昭和初期の酵素工業は、いわゆる萌芽期というべきもので、そこには幾多の試練が横たわっていた。
幸い近年学問の目覚ましい進歩により、新しい酵素が続々と開発されて、多くの分野に重要な役割を果たしていることは、よろこばしい限りである。
しかしその光の陰にひそむために見えぬ無数億の夥しい微生物の犠牲にあまりにも無関心な人間の身勝手さを反省し、菌恩の尊さを称えようと、私は比叡山の西麓、名刹曼殊院跡の霊地に菌塚を建立した。
そしてこの企てに当時日本の発酵学の泰斗であった、東京大学名誉教授の坂口謹一郎氏が全面的に賛同されて、この石塚に菌塚の文字を刻まれ、さらに祝言として
目にみえぬ ちいさきいのち いとほしみ
み寺にのこす とわのいしぶみ
ほか二首の短歌を贈られています。
私は自分が年を取ってきて若いときには見過ごしていた日本人の、あらゆる生き物に対するこまやかな気持ちや気遣いが、だいぶ分かってきたような気がしていたのに、この菌塚の話を知って、まだまだ昔の日本人の優しい心の、ほんの一部しか分かっていないなと恥ずかしくなりました。
私は以前、歩くとき小さな虫が目や口に飛び込まないようにとベェールで顔を隠し、地面の虫を踏み殺さないようにと、箒で掃きながら歩くインドの敬虔なジャイナ教徒の話を聞いて驚いたことがありますが、日本人も負けてはいませんね。
日本には針供養、下駄供養そして人形供養といった、人の役に立って働いた無生物まで、その苦労をねぎらい、供養したうえで火葬(お焚き上げ)にするといったことが今でも各地に残っているのです。
「日本の感性が世界を変える 言語生態学的文明論」
鈴木孝夫 (すずき たかお 1926~)
株式会社 新潮社 2014年9月発行・より
前日に大雨が降り、花は落ち、水たまりができて・・・・・
光が丘公園(東京・練馬)にて4月12日撮影