「長篠の戦い」井沢元彦の新説 | 人差し指のブログ

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本を読んで面白かったところを紹介します

 

 

信長がこの戦いで行ったのは、単に、戦場の自軍の陣地寄りのところに馬を防ぐ柵 「馬防柵」 を作り、それに敵の騎兵がつっかかっている間に鉄砲で狙い撃ちをするというシンプルな作戦でした。

 

 

 

このように言うと、多くの人は、「本当にそれだけで武田の無敵の騎馬軍団を防げたの?」 と疑問を呈します。

 

 

 

ハッキリ言いましょう。充分勝てました。

 

 

実はこれ、私の新説なのです。

 

 

最近はインターネットにも 「井沢説」 として載っています。

 

 

 

では、なぜ勝てたのか。

 

実はみなさん、これは専門家の先生もそうなのですが、

とても大切なことを見落としているのです。

 

 

それは 「馬の特性」 です。

 

 

それがわかれば、実は鉄砲の弾など当たらなくても勝てるということがわかります。

 

 

 

馬術経験のある人はわかると思いますが、乗馬を習うとき最初に受ける注意が、馬の死角から近づいてはいけない、ということ、もう一つ、音で驚かせてはいけない、ということです。

 

 

 

暴れ馬になるのは、ほとんどの場合、大きな音に驚いたときなのです。

 

 

そうです。   ポイントは 「音」 なのです。

 

 

鉄砲は、弾を撃つときにものすごい音がします。

 

 

音に対してすごく敏感な馬は、1000挺もの鉄砲が放つ大音響にパニックになったことでしょう。おそらく暴れて騎兵は振り落とされ、手が着けられない状態になったと思います。

 

 

 

だから、鉄砲の弾は当たらなくても、1000挺の鉄砲を馬の近くで発砲させれば、織田軍は武田軍に勝てたのです。

 

 

 

「学校では教えてくれない戦国史の授業」

井沢元彦(いざわ もとひこ 1954~)

株式会社PHPエディターズ・グループ 2015年9月発行・より

 

 

 

光が丘 夏の雲公園つばき園(東京・練馬)にて3月17日撮影