井沢元彦・和田秀樹
株式会社 光文社 2014年5月発行・より
<井沢> ここでいう宗教勢力というのは、お寺と神社をあわせて寺社勢力と言っておきますが、彼らは日本の経済を牛耳る存在だったんですね。
というのは当時、この国の商業は油座、魚座、酒座といった同業者組合によって行われていましたが、この座は朝廷や貴族らに金銭を払う代わりに、営業や販売の独占権といった特権を得ていたわけで、寺社勢力もその特権を与える側だったんです。
<和田> ということは、座で扱われるすべての商品に、権利料が消費税のように課せられていたわけですか。
<井沢> そうです。例えば原価十文の紙が、座というものが存在することによって、価格が五倍にも六倍にもなってしまうわけです。
(略)
<井沢> ですから寺社勢力としては、このおいしい利権である座を護るために兵士を雇う。
言葉は悪いですが、極端なことを言えば性風俗ビルのオーナーが、お店を護るために暴力団を雇っていりようなもんです。
<和田> なるほど、信長が作った 「楽市楽座(らくいちらくざ)」 というのは、そういうカルテルみたいな座に対する対抗措置だったんですか。
<井沢> そうです。信長から見れば朝廷や貴族、宗教勢力はこの国の流通に巣食う寄生虫のようなものだったんでしょうね。
(略)
<和田> 信長の 「楽市楽座」 を考えると、彼は明らかに大衆を楽にしてあげようという気持ちがあった人ですよね。
<井沢> そうなんです。宗教勢力と戦った信長の真意は、仏教が嫌いとか弾圧とか言ったものではなくて、寺社勢力が不当に支配している利権を排することによって物価を下げ、貧しくても様々なものを楽に手に入れられるようにすることでした。
それに対して、利権に胡坐(あぐら)をかいている宗教勢力のトップが、「あの若造は許せん。信長は仏教の敵である」 と言うんですよ。しかし、ここで信長もひねくれているというか、悪いと思うんですが、自分は正しいことをしているという自負があるから 「ああ俺(おれ)は仏教の敵だ。そう呼ばれても結構、俺は魔王だ」 って言っちゃうんですよ。
<和田> 話を聞いていると、やっぱり信長以前の人は宗教というか神々には逆らってはいけないし、習慣というか旧弊には逆らってはいけないみたいに思っていて、それが当たり前みたいになってしまうと、どんなに不合理なことでもそこに縛られちゃう。
昨年11月22日 青葉台公園(埼玉・朝霞)にて撮影