「キリスト教の残酷さ」の遠因 | 人差し指のブログ

人差し指のブログ

パソコンが苦手な年金生活者です
本を読んで面白かったところを紹介します

 
 
「知的生活の準備」
渡部昇一(わたなべ しょういち 1930~)
株式会社KADOKAWA 2016年2月発行・より
 
 
 
シュペングラーを読む中で、長い間不思議に思っていたことがわかったような気がしたことが一つあります。
 
 
 
それは、キリスト教の聖書、特に新約聖書ですね。
 
 
 
読めば、キリストは 「右のほっぺたを叩かれたら左を出せ、上着を盗られたら下着も出せ」 、こう教えているわけです。
 
 
 
それがカトリックでもプロテスタントでも、
あれほど植民地をつくって、植民地の民族を奴隷(どれい)みたいに使ったのはどういうわけか。
 
 
 
なぜ、ああいう残酷(ざんこく)なことができたのか、
という疑問がずっとあったわけです。
 
 
 
そんなことは上智大学の神父さんに訊(き)いても良いことだけれども、嫌がらせみたいだから訊かないようにしていました。
 
 
 
ところが、このシュペングラーを読んだら一挙にわかりました。
 
 
 
シュペングラーは入念に、「キリスト教がゲルマン人をキリスト教化したのではない、ゲルマン人がキリスト教をゲルマン化したんだ」 と言うのです。
 
 
 
なるほど、ゲルマン人は戦国時代の武士みたいなところがありますから、敵を殺すとか、謀反人(むほんにん)を殺す場合には非常に残酷な殺し方もしたわけです。
 
 
 
元来、どこの民族にも、
このような原始的なことはあったと思います。
 
 
 
その中で、キリスト教を知り、キリスト教を自分たちの文化、ゲルマン化し始めた。
 
 
 
そうすると、多少優しくなったのです。
 
 
 
マリア様信仰もありますから、
女性を大切にするとか、騎士道も出来たりしました。
 
 
 
ゲルマン的な乱暴一辺倒(いっぺんとう)みたいなことが非常に柔らかくなったわけです。
 
 
 
しかし、ゲルマン人がゲルマン人でなくなったわけではないのです。
 
 
 
イギリス人も全部ゲルマン、アングロ・サクソンもゲルマン人。バイキングも北ゲルマン人ですね。
 
 
 
それで、アルプス山脈を越えて、
イタリアもほとんど全部ゲルマンです。
 
 
フランスはフランク族ですから、もちろんです。
 
 
 
キリスト教は良いものだと思うけれども、根はゲルマン人だと言うと、ずいぶん説明できることがあります。
 
 
 
キリスト教を学ぶ中で、本当にキリスト教化してしまう聖人も出る。
けれども、普通の人は、都合がよければゲルマン的な要素が出てくる。
 
 
 
 
昨年11月22日 青葉台公園(埼玉・朝霞)にて撮影