岩元さんはさきごろ、今年五月二十七日海軍記念日におこなわれた指宿(いぶすき)航空隊慰霊祭のことをつたえる、同月三十一日 朝日新聞鹿児島版の記事コピーを送ってくださった。
(略)
記事は左のごとくである。
< 太平洋戦争末期に指宿市にあった旧海軍指宿航空基地から飛び立った特攻隊員らのめい福を祈る追悼式が、旧基地内にある哀惜の碑前であった。
全国各地の遺族や旧海軍出身者でつくる 『指宿かもめ会』 の人たち約300人が参列して白菊を献花し、不戦と恒久平和を誓った >
わたしはこれを読んではなはだ不快に感じた。
まず新聞記事の基本である 「いつ」 が書いてない。これは「五月二十七日」を言いたくないのだろう。
主催者が慰霊祭と言っているものを 「追悼式」 と言いかえている。
「慰霊」 が気にくわないのか 「祭」 が気にくわないのか。霊は 「英霊」 を連想させる、とでも思ったのかもしれない。
戦友のことを 「旧海軍出身者」 もいやな言いようだ。
最も不快なのはおしまいの 「不戦と恒久平和を誓った」 である。
参列者たちは、若くして散華した戦友たちにそれぞれ語りかけたであろう。
それは、「もうすぐ行くからね」 であるかもしれない。
「こんな日本を見ずにすんでよかったよ」 であるかもしれない。
ともかくそれはそれぞれの心のなかのことであって、外からはうかがい知ることはできない。
何をもって 「不戦と恒久平和を誓った」 などときめつけるのか。
またこれは、何という軽薄なことばであろう。
「お言葉ですが・・・❻ イチレツランパン破裂して」
高島俊男(たかしま としお 1937~)
株式会社文芸春秋 2002年2月発行・より
8月21日 中央公園(埼玉・朝霞)にて撮影
![太陽ー10-7](https://stat.ameba.jp/user_images/20161006/11/hitosasiyubidesu/6f/0c/j/o0567042613765995714.jpg?caw=800)