「世界になかの日本
司馬遼太郎/ドナルド・キーン
中央公論社 1992年4月発行・より
<司馬> おそらく江戸時代で一番、識字率が高かったのは大坂だと思います。
なぜかといえば、商人の町で、千石船(せんごくぶね)が出て行く町ですから、船乗りになる人も多かった。
だから、読み書き・そろばんの熟がたくさんあり、寺子屋の数が多くて、寺子屋ごとに教科書が違っていますでしょう。
大坂は出版の町でもありましたから、出版される往来物という教科書が一万種類あったというのをどこかで読んだことがありますが、
それは大坂の文化が高かったからではなく、必要だったからだと思います。
<キーン> ええ、そうでしょう。往来物をみましても、実用的なものです。
そこには人間はこういう道を歩むべきだということは、どこにも書いてありません。
書いてあるのは、どこそこの町の何番地とか・・・・・(笑)。
7月24日 中央公園付近(埼玉・朝霞)にて撮影