「世界のなかの日本
司馬遼太郎/ドナルド・キーン
中央公論社 1992年4月発行・より
<キーン> 樋口一葉(ひぐち いちよう)(1872~96)は大変苦しい生活をしていたでしょう。
店もやっていたけれども、収入が足りなくてお金がなかった。
しかし、彼女はいつも 「自分は士族の娘だ」 と自負していました。
彼女の場合は、父親が侍の身分を買ったので、父親の前はけっして武士ではなかった。
もちろん彼女もそれを知っていましたが、それでも自分は士族だと確信していました。
<司馬> つまり、貧しさに耐えるという美学は、どこの国にもありますが、
日本の江戸時代にきわだってそれがあるのは、武士だったということですね。
<キーン> そうです”武士は食わねど高楊枝”とかね。
<司馬> とにかくお侍さんは貧乏でした。
農村に二、三軒はある大百姓のほうが、一般的に金持ちでした。むろん、町の商人は金持ちでした。
どうして侍がそんなに貧乏を平気でしているのかといえば、侍には侍の美学があり、
それを西鶴のような町人代表者が尊敬しているわけですね。
尊敬でも受けなければ、お侍さんもただの貧乏人です。
<キーン> 西鶴が武士のことを書くときは、いつも恭しい態度でちっとも悪口を書かない。
<司馬> ちょっと美化しすぎている感じもありますね。
<キーン> そうです。われわれ商人はこういうことをやることがあるが、 武士だとけっしてしないとか。
<司馬> ラフカディオ・ハーン、小泉八雲は奥さんから武士の暮らしとか心とかをずいぶん聞いていて、
武士は約束すると必ず守ると信じていた。
あるとき、どうしても約束の場所に行けなかった一人の武士は、切腹してその魂だけが行った。
そんな話はありえないんですが。
西鶴のように武士がそこらじゅうにいる時代でも美化されていて、明治以後いよいよ美化されましたね。
8月5日 中央公園付近(埼玉・朝霞)にて撮影