江戸時代の暖簾(のれん)と半纏(はんてん) | 人差し指のブログ

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儀礼が江戸町民の生活を律していた。

礼節を重んじていたことが、社会に秩序を与えていた。

商いですら、神聖な行為に昇華(しょうか)した。

このようなことは、世界のなかで日本にだけ見られた現象である。

「暖簾(のれん)」はその象徴だった。

暖簾は老舗(しにせ)を指して「暖簾が古い」とか、新しい店を「暖簾が新しい」というように、商店そのものを意味した。

暖簾は店の信用を表すものだった。

暖簾は、日焼けを防ぐとか、単なる目隠しや、飾りではなかった。

神社の鳥居と同じように「結界(けっかい)」を示すものであり、その内側が商いを修業する神聖な場となっていた。

結界は宗教用語で、神社の鳥居のように、修業のために一定の区域を区切ることである。

 暖簾は濃紺(のうこん)か、藍紺(あいこん)だった。

真ん中に店の印を染め抜いて、左下に屋号が入っていた。

表暖簾はは新年を迎えるたびに新調され、元日に神棚に供えて、大願成就(たいがんじょうじゅ)を祈ったうえで、切り火をして店頭に掛けた。

そのように暖簾は神聖なものだった。

火事を起こした時は、まず暖簾を持ち出した。
(略)
 職人の身分をしめす「出入り半纏(はんてん)」や「職半纏」は、盆と暮れに商家から職人に贈られたが、暖簾と同じように神聖なものだった。

テレビ・ドラマに、職人が威勢よく半纏をまとってでてくるが、そのようなことはありえなかった。

半纏を脱ぐか、屋号を染めた「印半纏(しるしはんてん)」を裏返しにして着たうえで喧嘩をした。

「徳の国富論 資源小国日本の力」
加瀬英明(かせ ひであき 1936~)
株式会社 自由社 平成21年11月発行・より


光が丘 四季の香公園の薔薇5月9日撮影

薔薇