江戸時代の入れ歯と眼鏡 | 人差し指のブログ

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本を読んで面白かったところを紹介します



「山本夏彦とその時代② 意地悪は死なず  夏彦・七平対談」
山本夏彦・山本七平
ワック株式会社2011年1月発行・より


<山本夏彦>   ついでながら江戸時代の人がどのくらい眼鏡をかけていたかっていうことが、僕の関心の的なんです。

またどれくらい入れ歯をしていたか、どれくらい”あばた”(疱瘡・ほうそう)がいたか、どこにも書いてない。

それはあんなに、ジャーナリズムが発達していても出ていないんです。

<山本七平>   眼鏡の研究。大久保彦左衛門だな。

<夏彦>   そうなの。眼鏡を作る道具はあるんです。

上野に「下町博物館」というのができたでしょう。

そこには、眼鏡を作る道具が出ていて、これでずいぶん作られていたことはわかるのです。


ほこりよけの眼鏡が流行ったことさえあるんです。

ただその普及率がなかなかわからない。

<七平>   入れ歯もわからないなあ。

<夏彦>   下谷(したや)の広徳寺に柳生飛騨守宗冬(やぎゅうひだのかみむねふゆ)の入れ歯が残っているそうです。

柳生にあるならほかにもあるでしょう。

それから、凄いものがあるんですよ。

タクアンをたたく道具(?)がある。

セトモノでできたおろしがねみたいなもので、それでタクアンをたたくんです。

秋岡芳夫さんが発見したんですけど、初め何に使うものかわからなかった。

歯が抜けた老人はタクアンが食べられないでしょう。けれど食べたいでしょう。

そこでこの おろしがねみたいなもので タクアンをつぶすの。

タクアンってのは、かりかりいってはじめてタクアンでしょうに。



朝霞中央公園のシャクナゲの花(埼玉・朝霞市)5月8日撮影

シャクナゲ