「山本夏彦とその時代② 意地悪は死なず
山本夏彦・山本七平
ワック株式会社2011年1月発行・より
*初出は「正論」昭和56年9月号~57年~5月号
<夏彦> 子規があらわれて和歌を短歌にしちゃったんです。
歌を芸術にしちゃったんです。
「歌よみに与ふる書」「再び歌よみに与ふる書」三たび四たび、十たび「歌よみに与ふる書」を書いて、子規は『古今(こきん)』をやっつけました。
あれは言葉の遊びだ、芸術じゃないと言うんですが、それまで歌を詠んでいた人は芸術家になろうとなんて夢にも思ってないんです。
それは政治家です、軍人です、亭主です、妻女(さいじょ)です。
<七平> そうそう。
<夏彦> 「歌まくら」をたずねてどこがいけないんでしょう。
言葉の遊びのどこがいけないんでしょう。
あれこそ文化です。教養です。
子規の見幕(けんまく)にびっくりして女たちは歌を詠むのをやめちゃったんです。
だから子規は文化の敵ですよ(笑)。
女が歌を捨てたことによって日本人が失ったものははかり知れません。
母は子をしつけるのにどこの国でも言葉をもってします。
平安以来の言葉の伝統はこれで絶えました。
「いささむら竹」(内田百閒(ひゃっけん)、「むらぎも」中野重治(しげはる)などという文章はその題を見ただけで何やら床しい気がします。
平安以来の血が騒ぐのです。それがこれからの人は騒がないのです。
これまで言葉を守ってきたのは実は女だったのだと僕はかねがね思っています。
男はいつも新しい言葉、漢語や英語にとびつきます。
男は手紙も日記も全部漢文で書きましたが、女は平がなで大和(やまと)言葉で歌を詠みました。
女の言葉と男の言葉を分けて子供は女に育てられました。基本は大和言葉で、戦前まではそうでした。
<七平> それが女が学校へ行くようになって、おかしくなってきた(笑)。
「座右の名文
高島俊男(たかしま としお1937~)
株式会社文芸春秋2007年5月発行・より
俳諧は、明治二十年代に子規の一蹴でほろんでしまった。
子規が日本の文藝にあたえた最も大きなマイナスは、俳諧を否定したことだろう。
なにしろ子規というのはえらいやつだから、こいつがひと蹴りしたら俳諧はほろびてしまって、ぜんぶ「俳句」になった。
とはいえ七部集をはじめとする俳諧の本に子規が火をつけて燃やしたわけではもちろんないので、本はあったし、おもしろがって読む人もぼちぼちいたが、
すくなくとも日本の文藝の表面からは姿を消した。
「俳諧」とは、滑稽というほどの意味のことばで、連歌から出たものだ。
朝霞中央公園のハナミズキ(埼玉・朝霞市)4月15日撮影