年長者と若者 | 人差し指のブログ

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年長者は若い人に対して、いかにも年長者らしく振る舞うという生活習慣を持っています。

これは人間社会に共通する一つの法則だと思うのですが、年長者はどうしても「威厳を作る」という卑しい根性があります。

この威厳というものほど、若者をして嫌がらせるものはない、

上下関係をぎくしゃくさせる一大要因です。

組織のように上下の区別をきちんとしなければならないところでも、いかに精神関係においてはフラットにするかということが大事でしょう。

 同じ世代の間では、相手に対して自分を実力以上に見せることは不可能です。

『論語』にいう「人焉(いずく)んぞ廋(かく)さんや」であって、とても実態を隠し通せるものではない。

しかし、相手が、先輩、後輩となると、それが可能になる。

たとえば、三十代の人が二十代の後輩に対して、「自分は経験豊かで、今までこんな仕事をした業績がある」などとしゃべり、

  言わず語らずのうちに威厳を示して、偉そうにすることは少なくありません。


 特に「自分はまだ途上にあって若い」と心中に卑下する傾向が若い人にあると、それに年長者は乗じます。

分相応にへりくだるのは結構な姿勢だし、お互いに譲り合うのは美徳だけれども、年長者の人間性という外観が成熟しているように見えても畏れ入る必要は全くありません。
  (略)
だから、現在の若い人は畏れ入る必要などない。

それどころか、今の社会で畏れ入ることは決して得になりません。

むしろ卑屈に見え、損をしてしまいます。

  いかに威張っている年長者といえども、卑屈な若者を見た時は不愉快に感じます。

卑屈でなく、傲慢でもなく、それ相応の出処進退を実施しているということが、結局はその人を評価する基準になる。

そういう点で、年長者という存在を決して畏れてはならない。

畏れることは逆に自分のマイナスになるということを、若い人は心に刻んでおくべきです。

「疲れない生き方」
谷沢永一(たにざわ えいいち 1929~2011)
PHP研究所2007年十月発行・より

新座緑道(埼玉・新座)のアセビの花 3月3日撮影

あせび