中国と中国人 | 人差し指のブログ

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中国人といって、中国に住んでいる人間を全部一(ひと)からげに考えたら間違うのです。

上下の差が極端に激しいのです。

どんなオフィスに行っても分かりますが、何でも分かって、テキパキと仕事が出来て、頭の回転が早くて、実務的な人、というのは、一つの部局に一人しかいないのが原則なのです。

あとはぼーとして座っているだけなのです。

それぐらい同じ課の中の社員の間でも差があるのですが、これが支配階級と非支配階級になると全く同じ人種とは思えません。

 実際に、漢文というものは支配階級だけのものであって、一般の庶民には到底マスター出来ません。

今でもそうです。古典の漢文だけではありません。現代中国文ですら、一般の庶民はろくすっぽ読みも書きも出来ません。

これは漢字という特性からくるのですが、その結果、ああいった立派な言葉は、権力を握っている人たちだけがエンジョイ出来るものだったということを、まず考えておかないといけません。

 一般の中国人にとっては、毎日生きるのがやっとなのです。


私が若い頃、香港出身のアメリカ留学のお嬢さんから、中国人は昔から食べる物がほとんどなかった、ということを聞かされて、ショックを受けたことがありました。

中国人は昔から支那料理を食べて太っていたと思っていたのですが、ほとんどの中国人はろくに物を食べたことがないというのが現実なのです。

 そういうところで信義を守って暮らしていたら、まず人に踏みつけにされます。

実力があったら、人を突き飛ばして、秩序を守らずに行列に割り込むなりして、とにかく今何かをしないと人に取られてしまうのです。

人に取られてしまったら、永久に自分のところに廻ってこないのです。

それが普通の中国人の心理なのです。

人民中国になって、そういうモラルが公に横行するようになったのです。

それまではまだ支配階級が権力を握っていましたが、今はそうではないわけです。

だから余計そのようになってしまったのです。

だから、あるところで中国人が変わったというのではなく、中国人の本音が表に出てきた、と考えていいのではないでしょうか。

「日本人のための歴史学 - こうして世界史は創られた!」
岡田英弘(おかだ ひでひろ 1931~)
ワック株式会社二〇〇七年五月発行・より

光が丘公園バードサンクチュアリー(東京・練馬)1月23日撮影

光が丘公園