悪い意味ではなかった「ちゃんころ」 | 人差し指のブログ

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これは難しい問題ですね。まず、私はわざと触れませんでしたが、「ちゃんころ」という表現がありますが、これは単に「中国人(チユングオレン)」という言葉のなまりにすぎない、

もともと悪い意味ではなかった筈なのですが、それがだんだんと支那人に対する蔑称(べっしょう)となりました。

日本人が中国人を見下すことになった最大の原因は、やはり先程ちょっと申しました漢籍を通じてつちかった文明の祖国・中国に対する尊敬の念にあったと思うのです。

江戸時代は特にそうで、少なくとも武士階級だったら、藩校に通って、四書五経などの中国の古典で訓練を受けてきているわけでしょう。

歴史だって『資冶通鑑(しじつがん)』などで習ってきているわけでしょう。

そういう知識で武装して、いいよいよ清国に乗り込んでいくということになります。
(略)
日清戦争あるいは日露戦争で、一般の日本人が中国人とじかに接触するようになりました。

  私はやはり二十世紀に入ってからのことだとおもうのです。

当時の支那紀行に出てくる様相は、日中国交樹立以後の中国紀行と同じです。

いかに支那が汚い、臭いところで、中国人がどんなに外司(げす)であるか、ということが必ず出てきます。

つまり、中国人を軽視するようになった原因は、こうした現実を見聞きすることによって、孔孟(こうもう)の国、仁義・道徳の国として期待していった夢が破られたというギャップにあるのではないかと思うのです。

 最初は、これが本当の中国、本当の支那である筈がない、本当の支那というのはもっとましなものであったのだけれども、阿片戦争以後、欧米人にいためつけられて、こんなに成り下がったのだ、という同情的な解釈もあったと思うのです。

しかし、長いこと付き合っていると、だんだん愛想(あいそ)が尽きるということだろうと思います。

  だいたい中国人の中で、上流階級は一般中国人を非常に見下します。

今でもそうなのです。共産党の幹部などは、「人民は人間だと思っていない」という姿勢がはっきりしています。

それが外国人に反映しない筈がないのです。

そういった二つの要素が複合した結果、日本人が支那人を身下げ、「ちゃんころ」と呼ぶというような態度がつくられたのではないかと思います。
(略)
しかし、また、今、中国人と商売していると必ず損をする、ということが知れ渡ってきています。

契約を守らない、法律を守らない、秩序を守らないということですが、これは昔から中国文化の特徴なのです。

しかし、今、改めて日本人が裏切られたという気分になっています。

日中国交樹立以後に行った人たちは非常にナイーブなのです。

日中友好ブームに動かされて行っているわけで、中国人も日本人と同じだ、腹を割って話し合えば友達になれる、と思って行くのです。

ところが、中国人は困ったことに、腹を割って話しをしたら、とんでもない馬鹿だと軽蔑するのです。

それは中国人同士の付き合いではごく常識的なことですが、日本人はそのためにまた裏切られるということなのです。

表面は服装などおしゃれで日本人と中国人はほとんど区別がなくなりましたが、そういう時に、絶えずカルチャーショックが起こるという事態がまた生じてきております。

「日本人のための歴史学   こうして世界史は創られた!」
岡田英弘(おかだ ひでひろ 1931~)
ワック株式会社2007年5月発行・より

光が丘公園から見た清掃工場の煙突(東京・練馬)普段は煙は見えない(出ていない?)ですが寒い時には水蒸気らしい煙が見えます 1月23日撮影

光が丘清掃工場