「人間は一生学ぶことができる」
谷沢永一・渡部昇一
PHP研究所2007年5月発行・より
<渡部> 明治の頃、南朝をあれだけ褒めたのは、明治政府の人たちが幕府と戦ったからだと思います。
幕府と戦った元勲たちが自分たちをアイデンティファイ(同一化)するためには、幕府と戦った人が正統だと言いたい。
足利尊氏では困る。どうしても楠、新田という人を正統としなければならなかったのです。
また、今のわれわれは幕府というものをあまり意識しないけれど、倒した人たちにとってはとても大きな存在でしたね。
だから、それを抑えるために憲法や教育明治憲法を作るとき、強い権限を有する首相を設定しなかったのは、政治と陸海軍を統一するような長を認めたら幕府ができると恐れたからでしょう。
伊藤博文だろうが、山形有朋だろうが、維新の元勲が子供を政治家にしていないのも、政治的権力をもった人間が息子にそれを譲ったら、これまた幕府になると考えたからではないでしょうか。
今から見るとわかりにくいことですが、当時の人は幕府を倒したことが、とてつもなく大きな体験だったと思います。
<谷沢> 幕末の最後の瞬間まで、西郷隆盛にしろ、大久保利通にしろ、幕府を倒せるという確信はなかなか持てなかったようです。
最後の一瞬、「これはいける」という論理を超越した決断力で、鳥羽伏見の戦いに突入した。
本当に幕府というのは天の如きものだったのです。
だから、おっしゃるように、もし伊藤博文が娘婿の末松謙澄(けんちょう)を副総理にしようものなら、大事件になったとおもいます。
西南の役にしても、政府側からすれば西郷隆盛が徳川家に取って代わって幕府をつくるのではないかという恐怖心があつたのですね。勅語、さらには軍人勅諭を重ねて、天皇意外の絶対者が生じないようにあらゆる工夫をしたと思います。
フウ(楓)の紅葉 朝霞中央公園(埼玉・朝霞市) 1月8日撮影