1泊2日 高松~松山一人旅 2日目
高屋神社(本宮)の天空の鳥居で瀬戸内海を眺めたあとは、次も高所からの眺めです。
有明浜の砂に描かれた寛永通宝(銭形砂絵)を眺めてみようと
琴弾山(標高58.3m)山頂の象ヶ鼻岩銭形展望台(琴弾山山頂展望台)に向かいました。
山頂の展望台までは、このような細い道をのぼって行くのですが、一方通行なので安心です。
のぼること3分ほどで駐車場に到着。
こちらが銭形砂絵を見ることのできる展望台です。
展望台から寛永通宝の砂絵が見えました~
ここからだとちょいと遠いかな。
ズ~ム
少し斜めに見えますね。
寛永通宝の真ん中の穴
右の「通」、下の「永」
左の「寶」の貝の部首はしっかり確認できます。
上の「寛」はよく見えないです。
※このあとに行った「世界のコイン館」にて
寛永10年(1633年)に高松藩主の生駒高俊公が領内巡視で訪れた際、地元の領民が藩主を歓迎しようと、銭形の砂絵「寛永通宝」を一夜のうちに作り上げたという。
砂絵の大きさは東西122m南北90m、周囲345m
山頂から見た時に、きれいな円形に見えるように縦長の楕円形で作られたようです。
この砂絵を見た人は、健康で長生きしできて、お金に不自由しないと伝わるのだとか。
近年、銭形の砂絵を見て宝くじを購入した人が高額当選したそうです。
夜間(日没から22時まで)は砂絵がライトアップされ、瀬戸内海に沈む夕日も見れるようですね。
夕日好きとしては、夕刻に再訪してみたくなりました。
展望台の南には変わった岩場が。
この岩が象ヶ鼻岩で、岩の上から銭形の砂絵がよく見えそうです。
岩の上からの眺めがこちら
先ほどの展望台で見た時より真っすぐに見えました。
さて、この銭形の砂絵を下から見たらどうなっているのか?気になりますよね。
下の琴弾公園からも見てきました。
この先は立ち入り禁止
凸凹はわかりますが、銭形の面影はないですね。
続いて琴弾公園に隣接する道の駅 ことひきへ。
この道の駅にあるのが世界のコイン館と大平正芳記念館です。
香川県三豊郡和田村(現在の観音寺市)出身の大平正芳元首相。
私が物心ついて最初に覚えている総理大臣です。
昭和55年(1980年)6月12日
私が小学2年の時でした。
初の衆参同時選挙中に倒れ、現職中に急逝された大平正芳首相。
その日は幼なじみのE君の誕生日会でした。
「ぼくの誕生日に総理大臣が死んじゃった」とE君が言っていたのをよく覚えているんです。
なので大平正芳元首相の命日を小学2年生の時から知っています。
大平正芳元首相の口癖「あ~う~」のモノマネも流行っていましたね。
ということで大平正芳記念館の見学です。
入場料は併設の世界のコイン館とセットで300円
大平正芳元首相の写真と遺品がたくさん展示してあります。
▼東京商科大学(現一橋大学)3年の頃
▼外相時代の日中国交正常化
隣は田中角栄首相(当時)です。
▼ライシャワー米大使と
ライシャワー大使の生家が私の母校にあるので知っていました。
▼鄧小平副首相(当時)と
いちばん見入ってしまったのがこの写真です。
山下泰裕と握手する大平正芳元首相
左に輪島、右に北の湖と具志堅用高
昭和のスターが勢ぞろい。
▼亡くなる12日前、最後の演説
やはり顔色がよくないです。
▼選挙の時のだるま
昔は選挙の時に提灯も使っていたんですね。
▼外相時代のパスポート
▼内閣総理大臣任命書
▼愛用していた品々
▼燕尾服とモーニング
▼最後の給与支給明細
44年前といえど、81万円って安くない?
と思ったら特殊勤務手当というのがありました。
特殊勤務手当は141万6100円
高松高等商業学校時代の成績表まで展示してありました。
「秘」って判が押してあるけど・・・
故郷に帰って来た時に、くつろいでいた和室も再現。
警備の関係で窓ガラスは防弾ガラスにしてあるようです。
大平正芳元首相の政治家としての経歴だけでなく、成績表や給与明細まで展示してあって首相の生活ぶりもうかがえる貴重な記念館でした。
思いのほか大平正芳記念館の見学に時間がかかったので、世界のコイン館はざっと見ただけですいません。
世界各国のコインや紙幣が展示してありました。
そして次も道の駅です。
道の駅 ことひきから道の駅 とよはまに向かいました。
この道の駅に鎮座するのが黄金持神社です。
黄金持ちの聖地
琴弾山から銭形砂絵を眺めてからの黄金持神社のお詣りで金運アップするかな~?
この日は12月4日でしたが、持っている株が年末から年始にかけて急騰しましたよ。
ご利益がありました。
つづく