瀬戸大橋記念公園 1泊2日 高松~松山一人旅③ | 1泊2日一人旅

1泊2日一人旅

休みは取れても2日。
だから旅はいつも1泊2日。
1泊2日でも日本全国行ってみたい。
そんな1泊2日一人旅の記録です。

1泊2日 高松~松山一人旅

 

 

高松駅前からレンタカーで出発~

 

 

まず向かったのは高松市と坂出市の市境にある岬

 

 

 

大崎ノ鼻です。

 

 

 

8年前にも行ったのですが、その時は天気が悪かったので、もう一度~と訪れてみました。

 

※2016年7月17日

 

 

今回は青い空と青い海~

 

 

手前の島が小槌島、奥の島が大槌島です。

 

 

小槌島の左手には、うっすらと瀬戸大橋も見えます。

 

 

ズ~ム

 

 

レンタカーは広い路肩に停めましたが

 

 

 

山の上には五色台展望台があります。

 

 

ですが、今回は時間がないので次へ。

 

 

次は大崎ノ鼻の西にいある岬の乃生岬(のうみさき)です。

 

 

こちらでも路肩に停めて瀬戸内海を一望。

 

 

東側には先ほどの大崎ノ鼻と二つの島。

 

 

 

西側に瀬戸大橋が望めます。

 

 

こちらの方が瀬戸大橋に近いので大きく見えます。

 

 

 

乃生岬からは、右手に瀬戸大橋を眺めながらドライブ~

 

 

橋のたもとにある瀬戸大橋記念館に向かいました。

 

 

公園手前の信号待ちでのこの光景。

 

 

橋脚の高さと大きさに圧倒されました。

 

 

まるで進撃の巨人の世界です。
 

 

瀬戸大橋記念公園の無料駐車場に停めると、ど~んとそびえるタワー

 

 

瀬戸大橋タワーです。

 

 

回転式の展望室が下がってきました。

 

 

ちょうど展望室が地上に着いたので、先に瀬戸大橋タワーに乗りましょう。

 

 

昭和63年(1988年)開業なので、けっこう年季入ってますね。

 

 

入場料は800円

 

 

 

席は100席あるようですが、客は私ひとり~

 

 

私ひとりだけのために動かしてもらうのは申し訳ないような。

 

 

客室が回転しながら上昇して行きます。

 

 

 

 

 

 

南側には讃岐富士(飯野山)も見えます。

 

 

 

 

 

360度ぐるっと1周すると再び瀬戸大橋に。

 

 

 

てっぺん(地上108m)からの眺めです。

 

 

てっぺんで3回転してから下りていきます。

 

 

下降時は動画を撮影しました。

 

※貼り付けられる動画は1分までなので途中で終わります。

 

 
最高地点は108m、およそ10分間の楽しい空中散歩でした。
 
 
 
地上に下りたら瀬戸大橋記念公園の散策へ。
 
 
タワーは私ひとりでしたが、公園も人が少ないですね(この日は日曜日だったけど)
 
 
水路(水の回廊)沿いを進んで行くと、「天の泉」というオブジェ

 

 

瀬戸大橋のメインケーブルをイメージした虹の曲線です。

 

 

 

正面の建物は瀬戸大橋記念館

 

 

 

記念館の反対側に回ると、瀬戸大橋を向かって銅像が立っています。

 

 

瀬戸大橋の最初の提唱者である大久保諶之丞(おおくぼじんのじょう)像です。

 

 

明治期の香川県議会議員で、明治22年(1889年)に四国と本州を橋で結ぼうと提唱した人物です。

 

瀬戸大橋開通が1988年ですから開通の99年前ですよ。

 

明治中期に、早くも架橋の構想があったんですね。

 

 

大久保諶之丞像の隣にはハートのオブジェ

 

 

 

橋の近くまで行ってみましょう。

 

 

 

 

こちらの展示広場では、橋の工事で活躍した機械や器具が展示してあります。

 

 

 

 

ここでやっとタワーの展望室がてっぺんにある時の写真が撮れました。

 

 

 

 

最後に瀬戸大橋記念館を見学です。

 

 

 

瀬戸大橋架橋の壮大なドラマと世界に誇る長大橋のすべてを精密な模型や映像、大型写真パネルなどで展示紹介する施設です。

 

嬉しいことに入館は無料。

 

 

 

 

まずは先ほどの銅像の人物

 

瀬戸大橋架橋の最初の提唱者、大久保諶之丞について学びます。

 

 

 

今では当たり前になっていますが・・・

 

当時、大久保諶之丞の架橋提唱には誰もが驚いたそうです。

 

 

時代は明治から大正・昭和に。

 

 

宇高連絡船の時代です。

 

 

 

 

宇高連絡船の模型も展示してあります。

 

 

 

架橋への機運が高まったのは悲劇からでした。

 

 

昭和30年(1955年)の紫雲丸事故です。

 

 

この沈没事故で修学旅行中の小中学生ら168名が犠牲になりました。

 

この悲劇を二度とくりかえしてはならないと、架橋の実現へと行政が動き出しました。

 

 

 

昭和37年(1962年)の本四架橋の調査ルートは5つあったようです。

 

 

Aルートは現在の明石海峡大橋・大鳴門橋、Eルートは現在のしまなみ海道ですが、瀬戸大橋には3つの候補があったのですね。

 

 

当時、誘致合戦が凄かったというのが新聞の見出しからも想像できます。

 

 

3つの候補の中から児島-坂出ルートが決定しました。

 

 

その後、Aルート明石-鳴門、Dルート児島-坂出、Eルート尾道-今治の優先順位が問題になったようです。

 

 

 

技術的な問題が多かったAルート(明石-鳴門)や、経済効果が最も小さかったEルート(尾道-今治)は一部だけ着工し、Dルートの瀬戸大橋を先行して本格着工することに。

 

 

昭和53年(1978年)の着工までの経緯の新聞記事がとても興味深かかったです。

 

 

もうひとつ勉強になったのが工事についてです。

 

 

 

どうやって海底に橋脚の基礎を埋めるのか?と思っていましたが、ジオラマやパネルでわかりやすく展示してありました。

 

 

 

まずは造船所でケーソンと呼ばれる巨大な箱を造り

 

 

 

そのケーソンを海に浮かべてタグボートで運び

 

 

 

正確な位置に設置して

 

 

 

特殊なコンクリートを流し込むのです。

 

 

 

 

 

このケーソン工法を提唱し、実現に向けて多大なる貢献をしたのが本州四国連絡橋公団 初代坂出工事事務所所長の杉田秀夫氏でした。

 

 

瀬戸大橋を架けた男と呼ばれています。

 

 

ケーブルの架設、橋桁の架設もジオラマで再現されています。

 

 

 

ケーブル架設のための足場作りの写真は見るだけで足がすくんできます。

 

 

 

 

 

 

そして着工から10年、昭和63年(1988年)に瀬戸大橋が開通。

 

 

 

館内からも瀬戸大橋を眺めることができます。

 

 

 

 

瀬戸大橋の構想から開通までの経緯や架橋の工法など詳しく知ることができて、とても入館料無料とは思えないほど立派な記念館でした。

 

 

大久保諶之丞も世界に誇る瀬戸大橋を見守っておられることでしょう。

 

 

つづく