武田信玄と上杉謙信の一騎打ち 川中島古戦場 1泊2日 山梨・長野一人旅 その12 | 1泊2日一人旅

1泊2日一人旅

休みは取れても2日。
だから旅はいつも1泊2日。
1泊2日でも日本全国行ってみたい。
そんな1泊2日一人旅の記録です。

1泊2日 山梨・長野一人旅 2日目(11月8日)

 

善光寺参りを終えましたが、善光寺の参道の案内板にあった「善光寺 雲上殿納骨堂」にも行ってみました。

 

 

善光寺の1kmほど北の山の中腹にあります。

 

 

 

善光寺如来の分身が祀られている雲上殿納骨堂。

 

 

ここからの眺めがとても良かったです。

 

 

善光寺や長野市街地を一望。

 

こちらには牛の石像もありました。

 

 

 

続いて七曲りと呼ばれるヘアピンカーブが連続する山道を上って飯綱高原へ。

 

 

大座法師池のほとりに来ましたが、標高が高い分、紅葉はピークを過ぎてだいぶ葉も落ちていました。

 

 

 

この後、さらに標高の高い鏡池に行こうと思っていましたが、紅葉は期待できそうもないので次の目的地の川中島古戦場史跡公園に向かいました。

 

「Old Battlefield」で古戦場

 

 

なるほど。

 

 

川中島の戦いといえば、武田信玄と上杉謙信

 

 

 

 

甲斐国を統治した武田信玄は、勢力の拡大を目指し信濃国に侵攻。

 

北信濃を統治していた村上義清は敗れ、村上氏に援軍を求められた越後国の上杉謙信が出兵。

 

計5回、12年にわたる川中島の戦いが始まりました。

 

 

5回の戦で最も有名なのが、千曲川と犀川に挟まれたこの地で繰り広げられた第4次合戦の「八幡原の戦い」

 

 

両軍あわせて約8千人の戦死者、約2万名弱の負傷者を出した史上まれにみる激戦に。

 

 

 

伝説の武田信玄と上杉謙信の一騎打ちがあったのも「八幡原の戦い」です。

 

 

 

馬にまたがり太刀で斬りかかる上杉謙信

 

 

 

軍配で受け止めようとする武田信玄

 

 

銅像でも両者の気迫が伝わってきます。

 

 

一度は軍配で受け止めたものの続く二の太刀で腕を、三の太刀で肩に傷を負った武田信玄。

 

刀に軍配じゃ厳しいだろ~って、ツッコミたくもなりましたが、それはさておき・・・

 

後にこの軍配を調べたところ刀の跡が7ヵ所もあったといわれ、この跡を「三太刀七太刀の跡」というそうです。

 

 

 

また、武田家臣の高坂弾正が川中島の戦いの戦死者を敵味方区別なく手厚く葬った首塚もありました。

 

この対応に感激した上杉謙信は、後に塩不足に悩む武田に塩を送り「敵に塩を送る」という言葉が生まれました。

 

 

そしてこちらが川中島古戦場八幡社

 

 

 

 

 

武田軍が陣を構えたとされる敷地は公園の広大な芝生になっています。

 

 

公園や駐車場の紅葉も綺麗でした。

 

 

 

 

 

一通り見て回ると時刻は11時25分

そろそろランチの時間です。

 

ランチはレンタカーの中で駅弁をいただきました。

 

 

初日は昼飯抜きだったかな。

2日目もギッシリ予定を組んでいたので、手っ取り早くいただける駅弁を長野駅に着いた時に買っていたのです。

 

 

味噌かつ弁当

 

 

大きめのひれかつが二つ。

 

味噌ダレは別容器に入っていて、お好みでかけます。

 

 

かつの下には鶏そぼろご飯。

 

 

ご飯がギッシリ詰まっていてボリューミー

ガッツリ系ですね。

 

二つ目のかつは味噌ダレ多めで。

 

 

美味しくいただき、お腹を満たして次の目的地に向かいました。

 

つづく