参考資料3019 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

《二つの川が流れる町》 その1
ローマ法王は近づかないよう注意せよ
二つの川が流れる町へ
汝の血、傍らにやってきて、そこから血を吐く
汝と汝のものを バラが花咲くとき
(第二章の九七 中村惠一氏訳)


 この詩は1981年のローマ法王ヨハネ・パウロ二世の狙撃事件の予言ではないかと話題になった詩だ。四行めの「バラ」はフランス社会党の紋章であり、フランス社会党のミッテラン大統領が当選したのが五月十日である。そして、五月十三日にヨハネ・パウロ二世がサン・ピエトロ広場で撃たれた。
 つまり、「フランス社会党が政権を取る頃、ローマ法王に危険が迫る」と解釈され、その通りになったというのだ。
 確かに面白い一致ではあるが、この詩の真意はそんなものだろうか。
 この解釈では二行めの「二つの川が流れる町へ」の説明ができない。そして、「二つの川が流れる町へ」という句が他にないかどうか探してみると、次の詩があった。

はなはだしく恐ろしい恐怖のVolsquesによる破壊
かれらの大きな町を汚染し、悪疫をまき起こす
太陽、月をおそい、かれらの聖域を犯す
そして二つの川は血で赤く染まる
(第六章の九八 中村惠一氏訳)


 中村惠一氏は、その著『ノストラダムスの聖予言』(集英社刊)の中でこの詩について興味深い解釈を展開しているので、それを掲げよう。
『一行めの「ヴォルスク」という言葉だが、いままではバンダル族(五世紀前半に、ガリア、スペインを侵略し、北アフリカに王国を築いたゲルマン系の部族、534年に滅亡)、つまり野蛮人というように解釈していた。
 しかし、正しくは、そういう意味ではなく、ヴォルスクを「ヴォル」と「スク」というように、この言葉をふたつに割って考えるといい。
 ヴォルVolというのは、鳥が飛ぶこと、スクsqueというのは、ロマネスクとかアラベスクというときのスクで、「のようなもの」という意味だ。
 つまり、ノストラダムスが生きていた頃には、飛行機などはなかったわけだから、ノストラダムスは飛行機を知らなかった。しかし、ノストラダムスの目には、ありありと空を飛んでくる飛行物体が見えた。それは鳥ではない。しかし、鳥のように空を飛んでいる。そこで、彼は自分の見たものを、「鳥のように飛んでいるもの」Vol-squesと表現するしかなかったということがわかる。しかも、-squesが複数になっているのは、それがいくつもいくつも見えたからだろう。私たちはだから、これを「飛翔体」とか「飛行体」というように訳すのが正しいと思う』」
「セザール・ノストラダムスの超時空最終預言(上)」浅利幸彦著より

感想
ローマ法王は近づかないよう注意せよ
二つの川が流れる町へ
汝の血、傍らにやってきて、そこから血を吐く
汝と汝のものを バラが花咲くとき
(第二章の九七 中村惠一氏訳)


 この詩は1981年のローマ法王ヨハネ・パウロ二世の狙撃事件の予言ではないかと話題になった詩だ。四行めの「バラ」はフランス社会党の紋章であり、フランス社会党のミッテラン大統領が当選したのが五月十日である。そして、五月十三日にヨハネ・パウロ二世がサン・ピエトロ広場で撃たれた。
 つまり、「フランス社会党が政権を取る頃、ローマ法王に危険が迫る」と解釈され、その通りになったというのだ。

これは私も五島勉氏の著書で知っていた。

「しかも、どういうわけか、ここにノストラダムスが重なってきた。いまから四百数十年も前、ノストラダムスはそ予言詩集のなかで、この法王狙撃をはっきり予言していた、というのだ。
 それに気づいたのは、イタリアのノストラダムス研究家ボスコロ氏。氏は法王が狙撃される七日前に、ミラノの新聞社に、「ノストラダムスのこんな詩がある。だから法王に危険がせまっている」と強く警告していた。ボスコロ氏は、詩のナンバーも全文も明かさなかったが、つぎの詩がそれだ。
「巨大なローマの法王が、あなたに近づくものを警戒する/二つの河が流れるその街で/あなたの血はクラッシュ(注:吐きだすこと、転じて、火薬の火が銃口から噴き出すさま)のそばで流れるだろう/そのバラが花ひらくときに」(ノストラダムス『諸世紀』第二巻九七)
 この「そのバラ」を、ボスコロ氏は「フランスのバラ」のことだと解釈した。つまり「フランスにバラが咲くとき」という時期、またバラをシンボル・マークに持つフランス社会党のことが暗示されている、と。
 だから、選挙でフランス社会党が大勝、党首ミッテランが大統領に当選すれば、おなじころ、現法王は至近距離から撃たれる恐れがある・・・。
 この大胆な予測を事件の七日前、ボスコロ氏はミラノの新聞に小さく載せた。載ってもさほど注目されなかったが、狙撃直後、地元の人々はその記事を愕然と思い出し、「ノストラダムスの予言、的中」と大さわぎになった。
 欧米のマスコミがこれにワッと飛びついた。日本のテレビや週刊誌も、いっせいにこの話題を採りあげた。
 私はしかし、必ずしも同意できない。これが現法王の狙撃を予言した詩だと言いきるには、一行目の「あなたに近づくもの」(この「あなた」は法王でない)、二行目の「二つの河」(ローマに「二つの河」はない)など、いくつかの疑問点があるように思える。また、この詩だけでなく、ノストラダムスのほかの詩と彼の生前の言葉からも、現法王の危機は左のように充分予測されていた。
「カギは”古代ローマの繰り返し”。ノストラダムスは、古代ローマの退廃と戦乱と破滅が、二〇世紀末に繰り返すと言った。古代ローマ時代には、聖ヨハネと聖パウロが、遠い異教の国々にキリストの福音(教え)を伝えたあと殺されたが、おなじように殉教事件が二〇世紀末にも起こる、ともノストラダムスは言った。
 だから現法王ヨハネ・パウロ二世は、彼からみた遠い異教の国々(日本など)へ福音を伝えたあと、かつての古代ローマとおなじ場所で、殉教の危機におそわれる恐れがきわめて強い」(拙著『ノストラダムスの大予言Ⅲ』76ページ以下から要約)
 これを私は、狙撃の四ヵ月前に書いて出版した。不幸にもそれは当たった。解読のやり方はちがったが、ボスコロ氏の七日前の大胆な警告も当たった。そのため、こうした予言の不気味さともからみあって、事件後一、二週間、世界は法王狙撃ニュース一色に塗りつぶされた。」
「人類存亡の鍵を握る ファティマ・第三の秘密」五島勉著より

>「カギは”古代ローマの繰り返し”。ノストラダムスは、古代ローマの退廃と戦乱と破滅が、二〇世紀末に繰り返すと言った。古代ローマ時代には、聖ヨハネと聖パウロが、遠い異教の国々にキリストの福音(教え)を伝えたあと殺されたが、おなじように殉教事件が二〇世紀末にも起こる、ともノストラダムスは言った。
 だから現法王ヨハネ・パウロ二世は、彼からみた遠い異教の国々(日本など)へ福音を伝えたあと、かつての古代ローマとおなじ場所で、殉教の危機におそわれる恐れがきわめて強い」(拙著『ノストラダムスの大予言Ⅲ』76ページ以下から要約)

相変わらず、ごまかしが上手いね。

「たとえばこれだ。81年2月23日~27日、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が、史上はじめて日本を訪問される。
 ご老体の法王なので、どたん場で予定が変わることもあるとのことだが、変わる可能性はひじょうにうすい。あなたがこの本をお読みになるころ、法王はまずまちがいなく日本へ向かっておられるか、無事に日本へ着いておられるだろう。
                         (中略)
「それがわたしの使命である。わたしが行くことによって、国家間の緊張が少しでもやわらぐならば。第三次大戦の危機が少しでも遠のくなら。ゆがんだ社会と人の心が少しでも正常にもどるなら・・・」
 法王は80年夏、世界行脚に先立ってこう言われたと、法王庁のスポークスマンは言った。これも聖パウロと恐ろしく似た言葉で気味悪い。
 パウロもおなじように言って東をめざした。「黙示録」のヨハネはこうは言わなかったが、かわりに彼は必死の布教をつづけながら、世界滅亡のさまを書き残した。ヨハネもパウロも、救いの使いであるとともに、滅びの使者でもあったのだ。
 ならば、法王ヨハネ・パウロ二世も、福音の使者であるとともに滅びの使者か? 聖パウロと聖ヨハネの布教のあと、古代ローマはむなしく滅んでいった。ノストラダムスのいうように、古代ローマのすべてが二〇世紀末に繰り返すのなら、法王が全世界に福音を伝え終わったあと新しいローマも滅びてしまうのか?
 とすれば、その新しいローマとは? その蘇ったローマはどこに? そのなかに私たちの日本は入っているのか?」
「ノストラダムスの大予言Ⅲ」五島勉著より

「現法王ヨハネ・パウロ二世は、殉教の危機におそわれる恐れがきわめて強い」とは書いていないね。もっとも、要約と書いてあるので読み手によるのかもしれないが。
まぁ、五島勉氏のノストラダムスシリーズは読み物としては非常に面白いので、若い人も読んでみたら良いと思う。ただし、1999年は2037年ぐらいにすり替えて読まないとしらけてしまうと思うが。

おお 広く巨大なローマよ おまえに滅亡が迫っている
おまえの多くの壁 おまえの血 おまえの本質はなくなる
文書による鋭いものが 恐ろしい裂け目をつくる
とがった鉄が おまえを軸までつらぬくだろう
「ノストラダムスの大予言Ⅲ」五島勉著より

五島勉氏によると、現代のイタリアのローマは小さいので、これは退廃した現代の都市国家の事だそうである。「悔い改めよ、さらば救われん」か?(念のため、聖書にこの言葉はない。「悔い改めよ、天国は近づいた」である。まぁ、意訳は同じようなものだろう。)

>中村惠一氏は、その著『ノストラダムスの聖予言』(集英社刊)の中でこの詩について興味深い解釈を展開しているので、それを掲げよう。
『一行めの「ヴォルスク」という言葉だが、いままではバンダル族(五世紀前半に、ガリア、スペインを侵略し、北アフリカに王国を築いたゲルマン系の部族、534年に滅亡)、つまり野蛮人というように解釈していた。
 しかし、正しくは、そういう意味ではなく、ヴォルスクを「ヴォル」と「スク」というように、この言葉をふたつに割って考えるといい。
 ヴォルVolというのは、鳥が飛ぶこと、スクsqueというのは、ロマネスクとかアラベスクというときのスクで、「のようなもの」という意味だ。
 つまり、ノストラダムスが生きていた頃には、飛行機などはなかったわけだから、ノストラダムスは飛行機を知らなかった。しかし、ノストラダムスの目には、ありありと空を飛んでくる飛行物体が見えた。それは鳥ではない。しかし、鳥のように空を飛んでいる。そこで、彼は自分の見たものを、「鳥のように飛んでいるもの」Vol-squesと表現するしかなかったということがわかる。しかも、-squesが複数になっているのは、それがいくつもいくつも見えたからだろう。私たちはだから、これを「飛翔体」とか「飛行体」というように訳すのが正しいと思う』

>一行めの「ヴォルスク」という言葉だが、いままではバンダル族(五世紀前半に、ガリア、スペインを侵略し、北アフリカに王国を築いたゲルマン系の部族、534年に滅亡)、つまり野蛮人というように解釈していた。

ノストラダムスの大事典にこうある。

「五島勉は「このヴォルスク(Volsques)というのは、仏仏辞典ではヴァンダル族のことだという」としているが、事実に反する。
 当「大事典」で参照している仏仏辞典のうち、30万語以上をカバーするプチ・ロベール(2016年版)には掲載されていないが、プチ・ラルース(2015年版)には掲載されている。
 しかし、その語義は明らかにウォルスキ人を指している。
引用元:https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/317.html

また、合成語説は面白いが、全体を自分で訳してみないと何とも言えない。

おまけ