≪プロローグ≫ その5
「ああ、これは急ぎすぎたようだ。このまま話を進めても読者の皆さんは混乱するだけだろうから、ここで、まず、私の予言解読の方法とその基になる考え方を簡単に説明しておこう。
私は従来の研究家とはまったく違った思想と視点に立脚し、まったく違う方法によって諸世紀と聖書を解読した。
それは、今まで誰一人として考えたこともなく、決して思いつかなかった方法である。
それは、”歴史は変遷していく”という考え方のもとに、諸世紀と聖書の予言を各歴史に振り分けて読み分けていく、という方法である。
”歴史は変遷していく”とはいっても、それは、単に、人類の歴史はいろいろな人物や出来事によって変動、変革し、移り変わっていく、というような単純な意味ではない。
歴史そのものが変更され、まったく違うものに変容していく、というものである。それは、未来において、地球人の子孫がタイム・マシンを発明して、未来からタイム・トラベルをして過去に戻ってきて過去の歴史を変えてしまったからである。しかも、それは一度だけではなく、何度も変えられており、これからもまた変えられていくのである。
なぜ、予言の解釈が混乱しているのかというと、もともと予言とは四次元的思考のもとで書かれてあるものなのに、それを三次元的思考で解釈しようとしてきたからなのだ。
四次元的思考とは、歴史は何回でも変遷していくという考え方であり、三次元的思考とは、歴史はただの一回だけであり、歴史が変わることはあり得ない、という考え方である。
つまり、従来の解釈は立方体を平面に投影した、その投影図だけで立方体がどんな形をしているのか推測していたようなものだ。三次元のもの(立方体)を二次元(平面)に投影したところで立方体の真の姿はわからない。
同様に四次元の予言を三次元で考えていたから予言が解読できなかったのである。
本書はこの四次元的思考のもとに予言を解読したものである。
これは、単に私がそう思いついた、というのではなく、ある高位の存在からそういう情報が私に届けられたのである。そして予言書にそう書かれているのだ。予言書を解読していくと自然にそういう歴史の変遷がわかるようになってくる。
とはいっても、漫然とただ予言書を読んだからといって、これがわかるわけではない。まず、この考え方をしっかりマスターしてから予言書にアタックし、各予言を各歴史に振り分けながら、立体的に読み、さらに、その裏に隠されている神の計画を読み取っていくのである。これができなければ予言も神の計画も理解できない。
それで、私は人類の歴史を四つに分け、各歴史を順番に、予言を解読しながら説明していこうと思う。
その四つの歴史とは、元史、前史、今史、来史の四つである。
これはどういう意味なのだろうかと思われるかもしれないが、いずれわかってくると思うので、まずは元史の解説から入っていこう。」
「セザール・ノストラダムスの超時空最終預言(上)」浅利幸彦著より
感想
>なぜ、予言の解釈が混乱しているのかというと、もともと予言とは四次元的思考のもとで書かれてあるものなのに、それを三次元的思考で解釈しようとしてきたからなのだ。
四次元的思考とは、歴史は何回でも変遷していくという考え方であり、三次元的思考とは、歴史はただの一回だけであり、歴史が変わることはあり得ない、という考え方である。
私は、だからシンクロニシティーレベルと考えている。もちろん、シンクロニシティーレベルであるのは他の理由もあるが。(予言は、「神の計画」的には次々と当たっても意味がない。個人的な予知などは別である。)
>つまり、従来の解釈は立方体を平面に投影した、その投影図だけで立方体がどんな形をしているのか推測していたようなものだ。三次元のもの(立方体)を二次元(平面)に投影したところで立方体の真の姿はわからない。
因みに、立方体は見方によっては平面上の正六角形に見える。http://ikuro-kotaro.sakura.ne.jp/koramu/2862_f1.htm
>ある高位の存在からそういう情報が私に届けられたのである。そして予言書にそう書かれているのだ。
セザール・ノストラダムスを名乗っている所を見ると、ノストラダムスの息子の名前なので、「セザールへの手紙」の受取人と考えているのかな。
「我が息子よ、終わりに当たって、お前の父 M. ノストラダムスのこの贈り物を受け取ってほしい。ここに含まれているそれぞれの予言四行詩をお前に明かしてやれる(日が来る)ことを望みつつ。そして不死なる神にどうかお前が素晴らしく栄えた幸福の内にその長い人生を送れますように、と祈りつつ。サロン、1555年3月1日。」
引用元:https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B4%99
まぁ、色んな人がいるから面白いんだけどね。ここで、「恐怖の大王」について考察してみよう。
「なお、信奉者の中には浅利幸彦のように、この deffraieur を聖書的な意味での「贖い」(あがない) と関連付けようとする説もあるが、聖書における「贖い」は本来、自分や一族が所有していた奴隷や土地を“買い戻す”ことから転じた概念であり、神が贖い主とされるのは、自らの所有物である民を救う存在だからである。これは、赤の他人の費用を負担することとは意味が異なる。ちなみに、フランス語で「贖い」を意味する rédemption には「買い戻し」の意味がきちんと存在している。」
引用元:https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/202.html
浅利氏も「deffraieur」で解釈しているようである。もちろん、1999年以前はこんな解釈は無かったので、その後の解釈だろうが。普通は、「d'effraieur」だろう。その理由は色々ある。
L'an mil neuf cens nonante neuf sept mois,
Du ciel viendra vn grand Roy d'effrayeur:
Resusciter le grand Roy d'Angolmois,
Auant apres Mars regner par bon-heur. (ノストラダムスサロンの原文)
年は一九九九年と七ヶ月
恐怖の大王が天より姿を現わすだろう
彼はアンゴルモアの大王を蘇生させ
その前後は火星が幸せに支配する (山根和郎 訳)
L'an mil neuf cens nonante neuf sept mois
Du ciel viendra un grand Roy deffraieur
Resusciter le grand Roy d'Angolmois.
Avant apres Mars regner par bon heur. (ラメジャラー本の原文)
2行目の「vn grand Roy d'effrayeur」と「un grand Roy deffraieur」だが、ノストラダムスは「u」を「v」としたり「j」を「i」としたりするので、「vn」については問題ない。(英語で言う所の不定冠詞「a」と同じ。)
問題は、「'」(アポストロフィー)である。文法的には、普通は「de」(英語で言う所の「of」)の短縮形と考えて、「effrayeurの偉大な王」である。つまり、誤植である。後者では、名詞が2つ続く変な形になってしまう。「deffraieur」(支払人、立替人)
因みに、「effrayeur」は辞書にないが、「effrayant」で「恐ろしい」、「effrayer」で「怖がらせる」なので、2行目と4行目で韻を踏ませるために変形させたと考えている。(もちろん、他に似たような例がないとかの反論もあると思うが。)
または、「frayeur」(「突然の激しい」恐怖)は1606年の辞書にあるので、「effrayer」+「frayeur」の造語という可能性もある。
補足
ピーター・ラメジャラー著「ノストラダムス予言全書」に「Ⅹ.72(10章72番の詩の事)の現存する最も早い版は1568年のものであるので、ここにベノワ・リゴーの1568年版からこれを採録して示したい。・・・・「deffraieur」のちの乱れた版を別にすれば、この語には省略記号(アポストロフィ)がないので、「恐怖の」という意味ではない(ただし、ノストラダムスは省略記号(アポストロフィ)を省いたり入れたりして遊ぶのが好きだったので、解釈する人たちに対して故意に罠をしかけようとしたという可能性もなくはない)。この語(古フランス語のdesfrayer、現代のdéfrayer)は「恐怖の」の意ではなくて、単に「支払う人」あるいは「支払い係」を意味する。」とあるが、「ノストラダムス雑記帳」に「ラメジャラーは指摘していないが、1568年版の時点で既に deffraieur と d'effrayeur の二通りの異文があり、どちらが正しいのかについては、さほど確定的なことを言える状況にない。」とある。また、「desfrayeur」は名詞だが「défrayer」は動詞。(文章的に形容詞(または副詞)ならば検討の余地もあるが。)因みに、アポストロフィは英語読みでフランス語読みではアポストロフ(綴りは全く同じ)。(これは日本人の翻訳者がラメジャラー氏の英語の原文を普通に訳しただけだからフランス語読みである必要はない。)
ところで、何が言いたいかと言えば、ノストラダムスの詩は文法的にもおかしくて幾通りにも解釈できてしまう。それが、浅利氏の言う所の四次元的意味なのではないだろうか。つまり、こんな解釈もあるという事である。
千九百九十九年、七か月、
その空(の下)から世話役の大王が来るだろう、
三月の前後に幸運にも君臨する(ところの)
アングーモワの大王を蘇らせるために。
引用元:https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/41.html
アングーモワの大王とは、私の解読では、原文から「Angolmoisの偉大な王」で「An+gol+mois」とするとフランス語で「An」(年)「mois」(月)「golgotha」(ゴルゴタ)より、「年月に挟まれたゴルゴタの偉大な王」で「イエス・キリスト」と考えている。つまり、1999年に「真理の御霊」(契約の使者)が現われた可能性が高い。
補足
「7 しかし、わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。
8 それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう。
9 罪についてと言ったのは、彼らがわたしを信じないからである。
10 義についてと言ったのは、わたしが父のみもとに行き、あなたがたは、もはやわたしを見なくなるからである。
11 さばきについてと言ったのは、この世の君がさばかれるからである。
12 わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。
13 けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。
14 御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。
15 父がお持ちになっているものはみな、わたしのものである。御霊はわたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるのだと、わたしが言ったのは、そのためである。
16 しばらくすれば、あなたがたはもうわたしを見なくなる。しかし、またしばらくすれば、わたしに会えるであろう」。」
「ヨハネによる福音書」第16章7節~16節
まさに、「真理の御霊」は「世話役」なのである。
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12715058629.html
因みに、「7か月」と訳すのもどうかと思う。「7月」(juillet)を1行目と3行目で韻を踏ませるために「7の月」(sept mois)なんてしたのかもしれない。
おまけ