参考資料2369 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

世界終末の謎を握る数字”七”
「ノストラダムスは、二編の四行詩で、真のこの世の終わりについて記している。どちらの詩にも、”七”という数字が出てくる。

大いなる数七の革命において、それは起こる、
ヘカトゥームの競技のとき。
大いなる千の年から遠からずして、
死者が墓から起き上がる。

 この詩は、聖書の世界終末の記述にかなり忠実に従っている―――”死者が起き上がる”という箇所に。だがそんな事件が起こるのは、教会が象徴的な勝利をおさめてからだ。最後の審判ですべての死者が復活するのは、雄牛百頭を神に捧げる古代ギリシアの儀式ヘカトゥーム、つまり大虐殺がおこなわれたあとである。もちろん、ここでいうこの世の終わりとは、人類が地上からいなくなることを意味している。
 すでに公表ずみの次の四行詩では、もっとも明確である。

月の統治が二十年つづくと、
別の月が七千年間支配する。
そののち太陽が力を失うとともに、
わが予言は成就し、終わる。    (第一巻四十八番)

 ほかの大予言者たちはノストラダムスと意見を異にしている。たとえばアリスタルコスは、世界は2404年に終わると言った。ダレテス・ディラキヌスは、世界は五千五百五十二年間存続すると考えた。ヘロドトスとリノスは、人類は一万年後に滅びると主張した。ディオニュシウスは、人類は一万三千九百八十四年間地上に生存すると確信していた。カッサンドラは誰よりも楽観的だった。世界が滅びるのは百八十万年後だと述べたのである(訳註 いずれも古代ギリシアに実在した学者か、あるいはその神話伝説的人物)。」
「ノストラダムスの極秘大予言」アーサー・クロケット著・南山宏訳より

感想
>大いなる数七の革命において、それは起こる、
ヘカトゥームの競技のとき。
大いなる千の年から遠からずして、
死者が墓から起き上がる。

この詩もセカンドオピニオンを見てみよう。

「クロケットはこのあと第10巻74番と第1巻48番を取り上げている。日本語版だと、後者のみが既発表の詩篇で前者は新発見であるかのように読める。これは寺島研次訳でも南山宏訳でも同じだが、原書ではどちらも既発表とも未発表とも書いておらず、曖昧にぼかされている。」
引用元:https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/861.html(No.22の詩のコメント欄)

この詩が10巻74番とそっくりなのはある程度のマニアなら誰でも分かるが、英語の原文では10巻74番として取り上げたのかもしれないらしい。ただし、次のような見方もあるがどうだろう。

「次の四行詩は、ぞっとするようなハルマゲドンの光景を描写している。七という数字が言及されているが、その意味はいまなお論議の的である。予言者の身の毛がよだつような予言は次の通りだ。
 
大いなる七の数字が成就する年。
殺戮の試合のとき、それは出現する。
大いなる千年期の時代からは遠からず、
そのとき死者が墓から現れるだろう。  (第十巻七十四番)

 なかには、“大いなる七の数字”とは1970年代を表わすと考える研究家もいる。だが私が本書を執筆している現在、大規模な殺戮ゲームが起こることもなく、すでに1980年代に突入している。
 七の数字に関するもうひとつの可能性は、“七日間、空に見えつづける第二の太陽の存在”である。この第二の太陽、つまりUFOが消えたときに殺戮がはじまる、という解釈は成り立たないだろうか? もっとも、ノストラダムスが予言した通り、千年紀の終わり、つまり1999年が近づいたときにとほうもない規模の戦争が起こる可能性のほうが大きいだろうか。最後の行は、世界の終わりに起こると聖書に記された説明を裏づけている。」
「ノストラダムスの極秘大予言」アーサー・クロケット著・南山宏訳より
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11921770047.html

つまり、もっと後の部分で10巻74番の詩を出しているのである。日本語訳が明かに異なっているので、原文の英語も異なっているだろう。だから、2つの詩は別物として扱っているはずである。ただし、英語の原文を自分で確認しないと何とも言えない。(原本にはないかもしれないからね。)

ついでに、10巻74番の詩を考察してみよう。

Au revolu du grand nombre septiesme,
Apparoistra au temps ieux d'Hecatombe,
Non esloingne du grand age milliesme,
Que les entrez sortiront de leur tombe.  (原文はロバーツ本)
大きな7番目の数が満了すると
その時に大量の不合格者の両目が明らかになるだろう
偉大な千番目の年からそれほど離れていない
なんと入っている者が彼らの墓から出て来るだろう (20年以上前の自分の訳)

また、2行目の「hécatombe」には「大量の落第〔生〕,不合格生」の他に「大殺戮,大量屠殺」もあるので、また、「ieux」はノストラダムスはよく「i」と「y」の入れ替えなどをやると思い「yeux」(目,両目)で訳したが「eux」(彼ら)で訳すと、

大きな7番目の数が満了すると
その時に大殺戮(の彼ら)が明らかになるだろう
偉大な千番目の年からそれほど離れていない
なんと入っている者が彼らの墓から出て来るだろう

ダブルミーニングと考えている。上は、ノストラダムスは1999年の詩を書いている以上、1997年の事だろう。つまり、比喩である。また、下は、「終わりの時」の話だろう。つまり、実際に死者が蘇るのである。(念のため、聖書からの転用という意味。)

「4 また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた。また、イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、また、獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。」
「ヨハネの黙示録」第20章4節

「34 イエスは彼らに言われた、「この世の子らは、めとったり、とついだりするが、
35 かの世にはいって死人からの復活にあずかるにふさわしい者たちは、めとったり、とついだりすることはない。
36 彼らは天使に等しいものであり、また復活にあずかるゆえに、神の子でもあるので、もう死ぬことはあり得ないからである。」
「ルカによる福音書」第20章34節~36節

大きな7番目の数は1巻48番の詩の7000年、つまり千年王国成就の年と考えられる。その時にキリストの大殺戮がある事は、知っている人なら誰でも知っている事だろう。

補足:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12541506732.html
(1999年の詩もダブルミーニングと考えると、上の詩も1997年と考えられる。)

おまけ