参考資料2293 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

詩篇 その75
「1 全能者なる神、主はして、日の出るところから日の入るところまであまねく地に住む者を召し集められる。
2 神は麗しさのきわみであるシオンから光を放たれる。
3 われらの神は来て、もだされない。み前には焼きつくす火があり、そのまわりには、はげしい暴風がある。
4 神はその民をさばくために、上なる天および地に呼ばわれる、
5 「いけにえをもってわたしと契約を結んだわが聖徒をわたしのもとに集めよ」と。
6 天は神の義をあらわす、神はみずから、さばきぬしだからである。[セラ
7 「わが民よ、聞け、わたしは言う。イスラエルよ、わたしはあなたにむかってあかしをなす。わたしは神、あなたの神である。
8 わたしがあなたを責めるのは、あなたのいけにえのゆえではない。あなたの燔祭はいつもわたしの前にある。
9 わたしはあなたの家から雄牛を取らない。またあなたのおりから雄やぎを取らない。
10 林のすべての獣はわたしのもの、丘の上の千々の家畜もわたしのものである。
11 わたしは空の鳥をことごとく知っている。野に動くすべてのものはわたしのものである。」
旧約聖書「詩篇」第50篇1節~11節

感想
>全能者なる神、主は詔して、日の出るところから日の入るところまであまねく地に住む者を召し集められる。

「50:01【賛歌。アサフの詩。】神々の神、主は、御言葉を発し
日の出るところから日の入るところまで
地を呼び集められる。」(新共同訳)

因みに、イエスは次のような事を述べている。

「29.しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。
30.そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。
31.また、彼は大いなるラッパの音と共に御使(みつかい)たちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。
「マタイによる福音書」第24章29節~31節

「24.そこでイエスは人々にむかって言われた、「狭い戸口からはいるように努めなさい。事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから。
25.家の主人が立って戸を閉じてしまってから、あなたがたが外に立ち戸をたたき始めて、『ご主人様、どうぞあけてください』と言っても、主人はそれに答えて、『あなたがたがどこからきた人なのか、わたしは知らない』と言うであろう。
26.そのとき、『わたしたちはあなたとご一緒に飲み食いしました。また、あなたはわたしたちの大通りで教えてくださいました』と言い出しても、
27.彼は、『あなたがたがどこからきた人なのか、わたしは知らない。悪事を働く者どもよ、みんな行ってしまえ』と言うであろう。
28.あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが、神の国にはいっているのに、自分たちは外に投げ出されることになれば、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。
29.それから人々が、東から西から、また南から北からきて、神の国で宴会の席につくであろう。
30.こうしてあとのもので先になるものがあり、また、先のものであとになるものもある」。」
「ルカによる福音書」第13章24節~30節

日頃の行いが大事だよね。

「8.それから僕(しもべ)たちに言った、『婚宴の用意はできているが、招かれていたのは、ふさわしくない人々であった。
9.だから、町の大通りに出て行って、出会った人はだれでも婚宴に連れてきなさい』。
10.そこで、僕たちは道に出て行って、出会う人は、悪人でも善人でもみな集めてきたので、婚宴の席は客でいっぱいになった。
11.王は客を迎えようとしてはいってきたが、そこに礼服をつけていないひとりの人を見て、
12.彼に言った、『友よ、どうしてあなたは礼服をつけないで、ここにはいってきたのですか』。しかし、彼は黙っていた。
13.そこで、王はそばの者たちに言った、『この者の手足をしばって、外の暗やみにほうり出せ。そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。
14.招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」。」
「マタイによる福音書」第22章8節~14節

>5 「いけにえをもってわたしと契約を結んだわが聖徒をわたしのもとに集めよ」と。

「50:05「わたしの前に集めよ
わたしの慈しみに生きる者を
いけにえを供えてわたしと契約を結んだ者を。」」(新共同訳)

イエスじゃなくても、旧約聖書の「神」でも「いけにえ」は好まないだろう。

「6 あなたはいけにえと供え物とを喜ばれない。あなたはわたしの耳を開かれた。あなたは燔祭と罪祭とを求められない。」
「詩篇」第40篇6節

「『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か知っていたなら、あなたがたは罪のない者をとがめなかったであろう。」
「マタイによる福音書」第12章7節

「『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、学んできなさい。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
「マタイによる福音書」第9章13節

「わたしはいつくしみを喜び、犠牲を喜ばない。燔祭よりもむしろ神を知ることを喜ぶ。」
「ホセア書」第6章6節

「サムエルは言った、「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、従うことは犠牲にまさり、聞くことは雄羊の脂肪にまさる。」
「サムエル記上」第15章22節

神は「素直な心」が大好物なようである。また、「罪人を招くため」とは、「悔い改めよ、天国は近づいた」という事だろう。

>6 天は神の義をあらわす、神はみずから、さばきぬしだからである。[セラ

「50:06天は神の正しいことを告げ知らせる。神は御自ら裁きを行われる。〔セラ」(新共同訳)

「イエスの再臨」という事かな。

「30 そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。」
「マタイによる福音書」第24章30節

おまけ