参考資料2154 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

千年王国では全物質の組成が霊化する その1
終わりの日のあと、”千年王国”がはじまる1

「さあ続いて黙示録の第二幕「千年王国」へと入りましょう。
 舞台(地上)は多分ガレキの山、無人の荒廃「たて替え致したら、世界はいったん寂しくなるぞ・・・・一時は人民なくなるところまでいくと申してあろが」(日月神示)。そのような地上への先のラプチャー組が神(霊的存在)とともに舞い戻ってきます。
「地上は砂漠のようになるでしょう。そして神と人との間に平和と和解のときが訪れるでしょう」(ラ・サレットの告知23)
”神と人との間”にご注目下さい。だからこそ”聖なる場所”になるのです。
「この時代地球の大部分が新しい形態をとり、それはいまの時代、地上界に住んでいる者たち(いまの私ども)には理解し得ないものであることを悟るであろう」(ソロモン8002)
 戦争による破壊ならある程度の想像もつきましょう。しかし、変貌の”形態”はそれ以上で、私どもの”理解”を越えたものだといいます。
 これはノストラダムスも「未来の王国は非常に異常な形で出現するであろう」(セザールへの手紙)と記しています。どのように”異常”なのか。
「世が代わりたら、天地光り、人も光り、草も光り、石も物心に歌うぞ・・・・(すべての存在は)水晶のようになるのぞ・・・・神をたたえる声が天地に満ち満ちて嬉し嬉しの世となるのざぞ」(日月神示)
 これは決して比喩や寓話ではありません。いまでも臨死体験をした人のなかには似たような光景をかいまみた人々が結構います。ダニエル書にも「善を行った人は大空のように輝く」とあって、”水晶のように”半透明で光り輝く世界・・・・。
 ということは、この地上が”顕幽同界”のような次元になるということでしょうか。だからこそ「神の国」と呼ばれるのでは・・・・。「新しき神の世となるのざから神々にも見当取れん。光の世となるのざぞ」(日月神示)。光とは例の”オーラー”をイメージすれば近いかもしれません。まさに”神の世”とい呼ぶにふさわしい世界です。
「元の神代よりももう一つ気の光り輝く世とするのざから、中々に大層ざぞ」(上同)。いずれにしても、いまよりは周波数の高い世界と考えればいいでしょう。」
「ヤハウエの巨大潮流預言」柴藤甲子男著より

感想
>舞台(地上)は多分ガレキの山、無人の荒廃「たて替え致したら、世界はいったん寂しくなるぞ・・・・一時は人民なくなるところまでいくと申してあろが」(日月神示)。

日月神示によると、生き残るのは3%だそうである。http://slicer93.web.fc2.com/10-7471.html
因みに、聖書では1/3。

「主は言われる、全地の人の三分の二は断たれて死に、三分の一は生き残る。わたしはこの三分の一を火の中に入れ、銀をふき分けるように、これをふき分け、金を精錬するように、これを精錬する。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『彼らはわが民である』と言い、彼らは『主はわが神である』と言う」。」
旧約聖書「ゼカリヤ書」第13章8節~9節

まさか、1/3から3%まで減る訳ではないだろう。とにかく、生き残るのは民主主義とは正反対のイエスの独裁主義(全体主義)に付いて行くような者だけだろう。念のため、自分の事など全く考えていない者たちである。

「21 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。
22 その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。
23 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。」
「マタイによる福音書」第7章21節~23節

この人たちは、イエスの名を利用して自分たちが尊敬されたいような偽善者である。

>「地上は砂漠のようになるでしょう。そして神と人との間に平和と和解のときが訪れるでしょう」(ラ・サレットの告知23)

「ラ・サレットの聖母」について調べてみた。

「自然は人間のゆえに復讐を求めています。そして自然は罪によって汚された地球に起こらなければならないことをひどく恐れて震えています。地よ、震えなさい。イエズス・キリストに奉仕する者と自ら宣言する者よ、そして内面ではただ自分自身を崇める者よ、震えなさい。なぜなら、神はあなたたちを御自分の敵に渡されるからです。なぜなら、聖なる場所は堕落の状態にあるからです....古い蛇、不純の師と通じ合う偽りの処女、ヘブライの修道女から反キリストが生まれるのはこの時期の間です。彼の父はBです。生まれるとき、彼は冒涜の言葉を吐き出すでしょう。彼は歯を持つでしょう。一言で言えば、彼は受肉した悪魔です。彼は恐ろしげに金切り声を上げるでしょう。彼は奇蹟を行い、不純以外では養われないでしょう。彼は、彼のように受肉した悪魔ではないけれども、悪の子らである兄弟たちを持つでしょう。12歳のときに、彼らは将来得る勇ましい勝利によって自分たちに注意を引きつけるでしょう。間もなく彼らはそれぞれ、地獄の軍勢によって助けられた軍隊を導くでしょう。」
引用元:http://www.d-b.ne.jp/mikami/salette.htm

ジーン・ディクソンも反キリストについて予言しているが、やはり12歳の時に使命を感じるらしい。

「キリストと同じ-、生後まもな-故国を離れ、12歳にして使命を自覚し、30代にして公生涯に入る。」
引用元:https://ameblo.jp/gitarcla/entry-10060920848.html

この2つとも聖書からのパクリだろう。

「2:41 さて、イエスの両親は、過越の祭には毎年エルサレムへ上っていた。
2:42 イエスが十二歳になった時も、慣例に従って祭のために上京した。
2:43 ところが、祭が終って帰るとき、少年イエスはエルサレムに居残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。
2:44 そして道連れの中にいることと思いこんで、一日路を行ってしまい、それから、親族や知人の中を捜しはじめたが、
2:45 見つからないので、捜しまわりながらエルサレムへ引返した。
2:46 そして三日の後に、イエスが宮の中で教師たちのまん中にすわって、彼らの話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
2:47 聞く人々はみな、イエスの賢さやその答に驚嘆していた。
2:48 両親はこれを見て驚き、そして母が彼に言った、「どうしてこんな事をしてくれたのです。ごらんなさい、おとう様もわたしも心配して、あなたを捜していたのです」。
2:49 するとイエスは言われた、「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか」。
2:50 しかし、両親はその語られた言葉を悟ることができなかった。
2:51 それからイエスは両親と一緒にナザレに下って行き、彼らにお仕えになった。母はこれらの事をみな心に留めていた。
2:52 イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人から愛された。
「ルカによる福音書」第2章41節~52節

個人的には、「真理の御霊」(契約の使者)や「黙示録の獣」が現われるとしたら、共に日本人である可能性が高いと考えている。その根拠は、色々あるが省略。因みに、ジーン・ディクソンの予言は外れまくっている。

「1962年生まれの“偽の指導者”が出現し、大きな力を振るうと述べたのだ。この偽の指導者は、全人類を残すべき人間と、抹殺すべき人間に振り分ける使命を持ち、その混乱と争いによるハルマゲドンは、1990年代から2030年代まで続くと予言している。
 このハルマゲドンのピークは2015年であるという。」
引用元:https://npn.co.jp/article/detail/64401068/

>「この時代地球の大部分が新しい形態をとり、それはいまの時代、地上界に住んでいる者たち(いまの私ども)には理解し得ないものであることを悟るであろう」(ソロモン8002)
 戦争による破壊ならある程度の想像もつきましょう。しかし、変貌の”形態”はそれ以上で、私どもの”理解”を越えたものだといいます。
 これはノストラダムスも「未来の王国は非常に異常な形で出現するであろう」(セザールへの手紙)と記しています。どのように”異常”なのか。

ノストラダムスの時代から見れば、テレビがある社会自体異常だろうし、ポール・ソロモンの時代(1936~1994)から見ればインターネットの時代は理解できないだろう。

「1 わたしの支持するわがしもべ、わたしの喜ぶわが選び人を見よ。わたしはわが霊を彼に与えた。彼はもろもろの国びとに道をしめす。
2 彼は叫ぶことなく、声をあげることなく、その声をちまたに聞えさせず、
3 また傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道をしめす。
4 彼は衰えず、落胆せず、ついに道を地に確立する。海沿いの国々はその教を待ち望む。
「イザヤ書」第42章1節~4節

「2.おおいかぶされたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。
3.だから、あなたがたが暗やみで言ったことは、なんでもみな明るみで聞かれ、密室で耳にささやいたことは、屋根の上で言いひろめられるであろう。」
「ルカによる福音書」第12章2節~3節

ノストラダムスやポール・ソロモンは聖霊の力と考えていた事だろう。

「18 耳しいよ、聞け。目しいよ、目を注いで見よ。
19 だれか、わがしもべのほかに目しいがあるか。だれか、わがつかわす使者のような耳しいがあるか。だれか、わが献身者のような目しいがあるか。だれか、主のしもべのような目しいがあるか。
20 彼は多くの事を見ても認めず、耳を開いても聞かない。
21 主はおのれの義のために、その教を大いなるものとし、かつ光栄あるものとすることを喜ばれた。」
「イザヤ書」第42章18節~21節(口語訳)

「42:18耳の聞こえない人よ、聞け。目の見えない人よ、よく見よ。
42:19わたしの僕ほど目の見えない者があろうか。わたしが遣わす者ほど
耳の聞こえない者があろうか。わたしが信任を与えた者ほど
目の見えない者
主の僕ほど目の見えない者があろうか。
42:20多くのことが目に映っても何も見えず
耳が開いているのに、何も聞こえない。
42:21主は御自分の正しさゆえに
教えを偉大なものとし、輝かすことを喜ばれる。」(新共同訳)

おまけ