参考資料2122 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

箴言 その43
「11 あざけるものが罰をうけるならば、思慮のない者は知恵を得る。知恵ある者が教をうけるならば知識を得る。
12 正しい神は、悪しき者の家をみとめて、悪しき者を滅びに投げいれられる。
13 耳を閉じて貧しい者の呼ぶ声を聞かない者は、自分が呼ぶときに、聞かれない。
14 ひそかな贈り物は憤りをなだめる、ふところのまいないは激しい怒りを和らげる。
15 公義を行うことは、正しい者には喜びであるが、悪を行う者には滅びである。
16 悟りの道を離れる人は、死人の集会の中におる。
17 快楽を好む者は貧しい人となり、酒と油とを好む者は富むことがない。
18 悪しき者は正しい者のあがないとなり、不信実な者は正しい人に代る。
19 争い怒る女と共におるよりは、荒野に住むほうがましだ。
20 知恵ある者の家には尊い宝があり、愚かな人はこれを、のみ尽す。」
旧約聖書「箴言」第21章11節~20節

感想
>11 あざけるものが罰をうけるならば、思慮のない者は知恵を得る。知恵ある者が教をうけるならば知識を得る。

「21:11不遜な者を罰すれば、浅はかな者は知恵を得る。知恵ある人を目覚めさせるなら
彼は知識を得る。」(新共同訳)

前半は反面教師みたいな話か。後半は、時代遅れな話だね。インターネット時代は、知識(情報)は溢れているので、それが正しいかどうか判断する知恵が大事だろう。(結局、自分に都合が良いものが正しいと判断してしまう人が多いだろう。念のため、それではダメである。)

>12 正しい神は、悪しき者の家をみとめて、悪しき者を滅びに投げいれられる。

「21:12神に従う人は逆らう者の家を識別し
神に逆らう者を災いに落とす。」(新共同訳)

「終わりの時」はそうなるだろう。

「10 そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄との池に投げ込まれた。そこには、獣もにせ預言者もいて、彼らは世々限りなく日夜、苦しめられるのである。
14 それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。
15 このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。」
「ヨハネの黙示録」第20章10節,14節~15節

>14 ひそかな贈り物は憤りをなだめる、ふところのまいないは激しい怒りを和らげる。

「21:14ひそかに贈り物をしておけば怒りはなだめられ
賄賂をふところに入れてやれば激怒も静まる。」(新共同訳)

口語訳の「まいない」も賄賂という意味だろう。ただし、2000年以上前は悪い事ではなかったのだろう。ある意味、へりくだった行為だからね。

「16:8 ところが主人は、この不正な家令の利口なやり方をほめた。この世の子らはその時代に対しては、光の子らよりも利口である。
16:9 またあなたがたに言うが、不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい。そうすれば、富が無くなった場合、あなたがたを永遠のすまいに迎えてくれるであろう。
「ルカによる福音書」第16章8節~9節

>15 公義を行うことは、正しい者には喜びであるが、悪を行う者には滅びである。

「21:15裁きを行うことは、神に従う人には喜び
悪を行う者には滅び。」(新共同訳)

「真理の御霊」(契約の使者)が本当に現われれば、彼が公義となるだろう。

「わたしは自分の栄光を求めてはいない。それを求めるかたが別にある。そのかたは、またさばくかたである。
「ヨハネによる福音書」第8章50節(口語訳)

「08:50わたしは、自分の栄光は求めていない。わたしの栄光を求め、裁きをなさる方が、ほかにおられる。
「ヨハネによる福音書」第8章50節(新共同訳)

>16 悟りの道を離れる人は、死人の集会の中におる。

「21:16目覚めへの道から迷い出た者は死霊の集いに入る。」(新共同訳)

中途半端が一番悪いだろう。自分の信念のためなら死ぬ覚悟ぐらいなら、逆に選ばれるかもしれないよ。パウロみたいにね。

「まずは、回心前のパウロがどのような状態にあったのか考えてみたいと思います。パウロはキリスト信者を徹底的に迫害していました。しかし、パウロ自身が回心前の自分について「(わたしは)熱心に神に仕えていました」(使徒22章3節)と断言していることからも分かるように、彼は神への熱心さのゆえにキリストの教会を迫害していたのです。パウロは神が唯一の方であるとの信仰を持っていましたから、イエスという人を神の子であると宣言することが神への冒とくであると考えたのでしょう。パウロは、教会を迫害することが神の望みにかなうことだと固く信じていたのです。」
引用元:https://sanpaolo.or.jp/?p=1858

回心した後は大変だったと思うよ。パウロに仲間を殺された人も沢山いたと思うし。だから、次のような戒律があるのだろう。

「43 『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
44 しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
45 こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。
46 あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。
47 兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。
48 それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。
「マタイによる福音書」第5章43節~48節

>19 争い怒る女と共におるよりは、荒野に住むほうがましだ。

「21:19いさかい好きで怒りっぽい妻といるよりは
荒れ野に座っている方がよい。」(新共同訳)

当然である。因みに、イエスは次のような事を述べているが。

「31 また『妻を出す者は離縁状を渡せ』と言われている。
32 しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、不品行以外の理由で自分の妻を出す者は、姦淫を行わせるのである。また出された女をめとる者も、姦淫を行うのである。」
「マタイによる福音書」第5章31節~32節

つまり、相手の不倫以外では離婚してはいけないという事である。また、再婚相手(初婚でも同じ)も不倫されて離婚した相手以外はダメという話である。こんなのは古過ぎて更新されるべきだろう。(本当にソウルメイトがいたとしたらどうなんだろう?)

「イエスは答えて言われた、「あなたがたは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。復活の時には、彼らはめとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。」
「マタイによる福音書」第22章29節~30節

「イエスは彼らに言われた、「この世の子らは、めとったり、とついだりするが、かの世にはいって死人からの復活にあずかるにふさわしい者たちは、めとったり、とついだりすることはない。彼らは天使にも等しいものであり、また復活にあずかるゆえに、神の子でもあるので、もう死ぬことはあり得ないからである。」
「ルカによる福音書」第20章34節~36節

おまけ