参考資料2110 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

箴言 その36
「1 人と交わりをしない者は口実を捜し、すべてのよい考えに激しく反対する。
2 愚かな者は悟ることを喜ばず、ただ自分の意見を言い表わすことを喜ぶ。
3 悪しき者が来ると、卑しめもまた来る、不名誉が来ると、はずかしめも共にくる。
4 人の口の言葉は深い水のようだ、知恵の泉は、わいて流れる川である。
5 悪しき者をえこひいきすることは良くない、正しい者をさばいて、悪しき者とすることも良くない。
6 愚かな者のくちびるは争いを起し、その口はむち打たれることを招く。
7 愚かな者の口は自分の滅びとなり、そのくちびるは自分を捕えるわなとなる。
8 人のよしあしをいう者の言葉は/おいしい食物のようで、腹の奥にしみこむ。
9 その仕事を怠る者は、滅ぼす者の兄弟である。
10 主の名は堅固なやぐらのようだ、正しい者はその中に走りこんで救を得る。
11 富める者の富はその堅き城である、それは高き城壁のように彼を守る。
12 人の心の高ぶりは滅びにさきだち、謙遜は栄誉にさきだつ。」
旧約聖書「箴言」第18章1節~12節

感想
>1 人と交わりをしない者は口実を捜し、すべてのよい考えに激しく反対する。
2 愚かな者は悟ることを喜ばず、ただ自分の意見を言い表わすことを喜ぶ。

「18:01離反する者は自分の欲望のみ追求する者。その事は、どんなに巧みにやってもすぐ知れる。
18:02愚か者は英知を喜ばず
自分の心をさらけ出すことを喜ぶ。」(新共同訳)

1節と2節が同時に成り立つのは、インターネット時代ならではだね。また、「真理の御霊」(契約の使者)が現われたとしても協調することはないだろう。

「16 わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。
17 それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。」
「ヨハネによる福音書」第14章16節~17節

「8 それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう。
9 罪についてと言ったのは、彼らがわたしを信じないからである。
10 義についてと言ったのは、わたしが父のみもとに行き、あなたがたは、もはやわたしを見なくなるからである。
11 さばきについてと言ったのは、この世の君がさばかれるからである。
12 わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。」
「ヨハネによる福音書」第16章8節~12節

9節から、クリスチャン以外の人はイエスの言葉を信じないので、当然「真理の御霊」(契約の使者)も信じないだろう。念のため、クリスチャンはもっと信じないだろう。今までの(真理の御霊の)解釈は、自分の中にある(来る)聖霊(キリスト)らしいからね。

>4 人の口の言葉は深い水のようだ、知恵の泉は、わいて流れる川である。

「18:04人の口の言葉は深い水。知恵の源から大河のように流れ出る。」(新共同訳)

知恵の泉を掘り当てられればいいけどね。「終わりの時」に現われる真のキリスト教の信者は自然にそうなるのか?

「ドン・ファンはいう。
「わしがそれを戦いだというのは、それが苦しい努力だからだ。ほとんどの人間は、苦しい努力も考えもなく、次から次へと何かするんだ。だが狩人は反対に、一つ一つの行為をしっかりと見きわめるのだ」と。
 この言葉に今という時代を作っている「知」の枠組みに対する痛烈な皮肉を読み取ることはさして困難なことではないだろう。つまり、われわれに物質的な豊かさをもたらしている「知」の枠組みそのものが、自分たちの行為が地上最後の戦いであることを自覚せず、明日があるからと、自分たちが何をしているかについて「苦しい努力も考えもなしに」、次から次へとまわりの世界を貪り続けることを、むしろ奨励するような種類のものであること。
 このことが結果として個人のレベルにおいては、もつれた糸のように複雑で収拾のつかない日常をもたらし、地球レベルにおいては「環境破壊」という言葉に象徴される壊滅的な打撃をわれわれに生み育んできた地球に与え続けている原因になっているのだ。そして、われわれもそういう「知」の枠組みが支えている「描かれた世界」の一部を生きているのだ。
 そういう愚かさを断ち切り、死ぬ直前に「おお、そんな!」などと叫びをあげるような道を歩まないためにも、自分の死を自覚し、自分の行為を地上最後の戦いにすることで、間違いのない道へと導く「正しい力」を湧き出させ、自分の行為がベストのものになるように慎重に一つ一つことを運ぶ必要があるのだ。
 そして、それが狩人になるということなのである。」
「知者(スーパーエリート)に成る道」細川廣次著より

>8 人のよしあしをいう者の言葉は/おいしい食物のようで、腹の奥にしみこむ。

「18:08陰口は食べ物のように呑み込まれ
腹の隅々に下って行く。」(新共同訳)

人の事なんかどうだっていい、自分がどうするか(どうしたいか)だろう。ただし、最近は自分に興味がないので、人を見ているのが好きである。まだ、若いねとかね。(現在は地球幼年期だと思っている。)

>10 主の名は堅固なやぐらのようだ、正しい者はその中に走りこんで救を得る。

「18:10主の御名は力の塔。神に従う人はそこに走り寄り、高く上げられる。」(新共同訳)

現在のキリスト教では無理だろう。まずは、「真理の御霊」(契約の使者)が本当に現われるかどうか、次にはその人物が本当に「高く上げられる」かどうかだろう。

「89:20 わたしはわがしもべダビデを得て、これにわが聖なる油をそそいだ。
89:21 わが手は常に彼と共にあり、わが腕はまた彼を強くする。
89:22 敵は彼をだますことなく、悪しき者は彼を卑しめることはない。
89:23 わたしは彼の前にもろもろのあだを打ち滅ぼし、彼を憎む者どもを打ち倒す。
89:24 わがまことと、わがいつくしみは彼と共にあり、わが名によって彼の角は高くあげられる。」
「詩篇」第89篇20節~24節

>11 富める者の富はその堅き城である、それは高き城壁のように彼を守る。

「18:11財産は金持ちの砦、自分の彫像のそびえる城壁。」(新共同訳)

従来のキリスト教では、イエスは富を否定したと考えていると思うと思うが、

「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。」
「マタイによる福音書」第6章24節

「それからイエスは弟子たちに言われた、「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。
また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。 」
「マタイによる福音書」第19章23節~24節

イエスは不正の富を用いてでも友を作れと述べている。

「16:9 またあなたがたに言うが、不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい。そうすれば、富が無くなった場合、あなたがたを永遠のすまいに迎えてくれるであろう。」
「ルカによる福音書」第16章9節

「6:17 この世で富んでいる者たちに、命じなさい。高慢にならず、たよりにならない富に望みをおかず、むしろ、わたしたちにすべての物を豊かに備えて楽しませて下さる神に、のぞみをおくように、
6:18 また、良い行いをし、良いわざに富み、惜しみなく施し、人に分け与えることを喜び、
6:19 こうして、真のいのちを得るために、未来に備えてよい土台を自分のために築き上げるように、命じなさい。」
「テモテへの第一の手紙」第6章17節~19節(念のため、パウロの言葉)

世の中は平等じゃないんだからね。https://ironna.jp/article/11629

おまけ