参考資料2062 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

箴言 その2
「20 知恵は、ちまたに呼ばわり、市場にその声をあげ、
21 城壁の頂で叫び、町の門の入口で語る。
22 「思慮のない者たちよ、あなたがたは、いつまで/思慮のないことを好むのか。あざける者は、いつまで、あざけり楽しみ、愚かな者は、いつまで、知識を憎むのか。
23 わたしの戒めに心をとめよ、見よ、わたしは自分の思いを、あなたがたに告げ、わたしの言葉を、あなたがたに知らせる。
24 わたしは呼んだが、あなたがたは聞くことを拒み、手を伸べたが、顧みる者はなく、
25 かえって、あなたがたはわたしのすべての勧めを捨て、わたしの戒めを受けなかったので、
26 わたしもまた、あなたがたが災にあう時に、笑い、あなたがたが恐慌にあう時、あざけるであろう。
27 これは恐慌が、あらしのようにあなたがたに臨み、災が、つむじ風のように臨み、悩みと悲しみとが、あなたがたに臨む時である。
28 その時、彼らはわたしを呼ぶであろう、しかし、わたしは答えない。ひたすら、わたしを求めるであろう、しかし、わたしに会えない。
29 彼らは知識を憎み、主を恐れることを選ばず、
30 わたしの勧めに従わず、すべての戒めを軽んじたゆえ、
31 自分の行いの実を食らい、自分の計りごとに飽きる。
32 思慮のない者の不従順はおのれを殺し、愚かな者の安楽はおのれを滅ぼす。
33 しかし、わたしに聞き従う者は安らかに住まい、災に会う恐れもなく、安全である」。」
旧約聖書「箴言」第1章20節~33節

感想
>20 知恵は、ちまたに呼ばわり、市場にその声をあげ、
21 城壁の頂で叫び、町の門の入口で語る。

「01:20知恵は巷に呼ばわり
広場に声をあげる。
01:21雑踏の街角で呼びかけ
城門の脇の通路で語りかける。」(新共同訳)

これは表向きには、ソロモンの知恵だと思われるが、「終わりの時」には「真理の御霊」(契約の使者)の言葉と考えられる。その根拠は、

「1 わたしの支持するわがしもべ、わたしの喜ぶわが選び人を見よ。わたしはわが霊を彼に与えた。彼はもろもろの国びとに道をしめす。
2 彼は叫ぶことなく、声をあげることなく、その声をちまたに聞えさせず、
3 また傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道をしめす。
4 彼は衰えず、落胆せず、ついに道を地に確立する。海沿いの国々はその教を待ち望む。」
「イザヤ書」第42章1節~4節

「箴言」の内容と全く違うと思われるかもしれないが、「箴言」の方の内容を(ソロモン)王がするとも思えず、現代でも辻説法など見かけない。そこで、やはりインターネットを利用するんじゃないかと思った訳である。

「42:01見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ
彼は国々の裁きを導き出す。
42:02彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。
42:03傷ついた葦を折ることなく
暗くなってゆく灯心を消すことなく
裁きを導き出して、確かなものとする。
42:04暗くなることも、傷つき果てることもない
この地に裁きを置くときまでは。島々は彼の教えを待ち望む。」
「イザヤ書」第42章1節~4節(新共同訳)

「真理の御霊」(契約の使者)が「裁く人」である事とも矛盾しない。

「8:50 わたしは自分の栄光を求めてはいない。それ(注:イエスの栄光)を求めるかたが別にある。そのかたは、またさばくかたである。」
「ヨハネによる福音書」第8章50節

「けれども真理の御霊(みたま)が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。
御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。」
「ヨハネによる福音書」第16章13節~14節

念のため、本当の裁き(最後の審判)はイエスが再臨して行う事は言うまでもない。

>思慮のない者たちよ、あなたがたは、いつまで/思慮のないことを好むのか。あざける者は、いつまで、あざけり楽しみ、愚かな者は、いつまで、知識を憎むのか。

因みに、「ペテロの第二の手紙」には次のような文章がある。

「まず次のことを知るべきである。終りの時にあざける者たちが、あざけりながら出てきて、自分の欲情のままに生活し、
「主の来臨の約束はどうなったのか。先祖たちが眠りについてから、すべてのものは天地創造の初めからそのままであって、変ってはいない」と言うであろう。
すなわち、彼らはこのことを認めようとはしない。」
「ペテロの第二の手紙」第3章3節~5節

「北斗の拳」に出て来る雑魚のような人達だろう。悪党でも自分の人生の主人公になって欲しいものである。(条件反射でいじめたりせず、意志を持って悪事をするという事。)
補足:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12438408564.html

「16:8 ところが主人は、この不正な家令の利口なやり方をほめた。この世の子らはその時代に対しては、光の子らよりも利口である。
16:9 またあなたがたに言うが、不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい。そうすれば、富が無くなった場合、あなたがたを永遠のすまいに迎えてくれるであろう。」
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12436533434.html

>23 わたしの戒めに心をとめよ、見よ、わたしは自分の思いを、あなたがたに告げ、わたしの言葉を、あなたがたに知らせる。
24 わたしは呼んだが、あなたがたは聞くことを拒み、手を伸べたが、顧みる者はなく、
25 かえって、あなたがたはわたしのすべての勧めを捨て、わたしの戒めを受けなかったので、
26 わたしもまた、あなたがたが災にあう時に、笑い、あなたがたが恐慌にあう時、あざけるであろう。

イエスの「最後の審判」はぶっ殺すだけなので、これは「真理の御霊」(契約の使者)の事だろう。ちょっと嫌な奴である。笑

>27 これは恐慌が、あらしのようにあなたがたに臨み、災が、つむじ風のように臨み、悩みと悲しみとが、あなたがたに臨む時である。
28 その時、彼らはわたしを呼ぶであろう、しかし、わたしは答えない。ひたすら、わたしを求めるであろう、しかし、わたしに会えない。

やはり、「終わりの時」の預言だろう。

「21 その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。
22 もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。」
「マタイによる福音書」第24章21節~22節

「29 しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。
30 そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。」
「マタイによる福音書」第24章29節~30節

以前から思っていた事だが、大患難は2回あるのかな?(小惑星の衝突によって「終わりの時」が始まると考えていたが、もしかして第3次世界大戦が最初に起こるとか?)ただし、「主の日は盗人のように来る」ともあるからさっぱり分からない。

>29 彼らは知識を憎み、主を恐れることを選ばず、
30 わたしの勧めに従わず、すべての戒めを軽んじたゆえ、
31 自分の行いの実を食らい、自分の計りごとに飽きる。
32 思慮のない者の不従順はおのれを殺し、愚かな者の安楽はおのれを滅ぼす。
33 しかし、わたしに聞き従う者は安らかに住まい、災に会う恐れもなく、安全である。

全ては自己責任で自業自得である。

「1 その時あなたの民を守っている大いなる君ミカエルが立ちあがります。また国が始まってから、その時にいたるまで、かつてなかったほどの悩みの時があるでしょう。しかし、その時あなたの民は救われます。すなわちあの書に名をしるされた者は皆救われます。
2 また地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者は目をさますでしょう。そのうち永遠の生命にいたる者もあり、また恥と、限りなき恥辱をうける者もあるでしょう。
3 賢い者は、大空の輝きのように輝き、また多くの人を義に導く者は、星のようになって永遠にいたるでしょう。
4 ダニエルよ、あなたは終りの時までこの言葉を秘し、この書を封じておきなさい。多くの者は、あちこちと探り調べ、そして知識が増すでしょう」。」
「ダニエル書」第12章1節~4節

初めは、再臨するイエスがミカエルと考えていたが、ミカエルは「真理の御霊」(契約の使者)であり、イスラム教の「マフディー」だろう。

おまけ