ラプチャーこそがYHWHからの最終回答 その25
終わりの日の三年半前にラプチャーは起きる2
「ではこの模様をイエス預言と黙示録(封印⑥)とで突き合わせてみてみましょう。
表3をご覧下さい。ここでも両書ピタリとその内容が一致しているのがおわかりでしょう。また<封印⑥>に次のような箇所があります。
「わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印を押してしまうまでは、地と海と木とを損なってはならない」
一方、次の<ラッパ①>では「地の三分の一が焼け、木の三分の一が焼け・・・・」とあり、<ラッパ②>では「海の三分の一は血の色となり・・・・」とあります。すなわち、ラッパ預言の時点ではもう”神の僕らの携挙”は終わっていることを示しているわけです。
では、その「日は暗くなり」の日はいつのことなのか。それはイエス預言によれば「荒らす憎むべき者(獣)が、立ってはならないところに立つ」日でした。そして72ページで、その日にアラブ勢に包囲されていた”二人の預言者”が(獣により)倒されたところまでをみてきたわけです。
黙示録によれば、この殺された預言者たちは「三日半の後、いのちの息が神から出て彼らのなかに入り、そして彼らが立ち上がったので、それをみた人々は非常な恐怖に襲われた。そのとき、天から大きな声がして『ここに上ってきなさい』というのを彼らは聞いた。そして、彼らは雲に乗って天に上った」(11/11~12)。
上によれば、彼らが殺されて三日半の後に”ラプチャー”が起こるようです。すなわち”艱難の七年間”のちょうどまんなか(三年半目)に当たる時点が”携挙の日”となるわけです。それにしても、なぜそれは「終わりの日」ではないのか。
その理由は「もし主がその期間を縮めて下さらないなら、救われる者は一人もいないであろう」事態になるからで、そのために救いの時期を終わりの日より三年半”前倒し”して下さったのです。この三年半は、2000年前イエスが布教をして人々を”救った”期間とピタリ一致しています。
では、携挙が起こるのはたった一日だけなのか。多分そうだと思います。なぜなら、私どもは地上のキリスト存在の波動に”同調”した結果”大いなる変異”を果たし得るわけで、そのキリストが携挙されてしまった後では普通の人間の自力でとてもそのような奇跡を行うことはムリだからです。」
「ヤハウエの巨大潮流預言」柴藤甲子男著より
感想
>ではこの模様をイエス預言と黙示録(封印⑥)とで突き合わせてみてみましょう。
一応、先週の記事はこちら。https://ameblo.jp/hitorinomeaki/day-20190210.html
>表3をご覧下さい。ここでも両書ピタリとその内容が一致しているのがおわかりでしょう。
表3を書き出してみるが、私はピタリ一致しているとは思わない。
(福)→イエス預言 (黙)→封印⑥
(福)→ユダヤへいる人々は山へ逃げよ
(黙)→(人々は)みなほら穴や山の岩陰に身を隠した
(福)→日は暗くなり 月はその光を放つことをやめ 星は天から落ち 天体は揺り動かされるであろう
(黙)→太陽は毛織の荒布のように黒くなり 月は全面血のようになり 天の星はいちじくのまだ青い実が 大風に揺られて振り落とされるように 地に落ちた
(福)→そのとき 大いなる力と栄光とをもって 人の子が雲に乗ってくるのを人々はみるであろう(救い)
(黙)→御怒りの大いなる日がすでに来たのだ だれがその前に立つことができようか(裁き)
(福)→彼は御使いたちを遣わせて 地の果てから天の果てまで 四方から選民を呼び集めるであろう
(黙)→救いは 御座にいます われらの神と小羊(御使いのこと)から来る
何にしても、どちらもシンクロニシティーレベルで「終わりの時」の事を述べていると考えている。この著者も「ほふられた小羊」はイエスではないと考えているようである。そういえば、既にメシアが具体的に分かっているんだっけ。
「ならば、この地上にキリスト(救世主)はやってこないのか。いえイエスという人格であるかどうかは別として、ケーシーやソロモンのソースが告げているように”終わりの日”のキリスト存在はすでにこの地上に生存していると私は思います。
「ヨハネ・ペヌエルとして知られ、すでに中東に住んでいる」(ソロモン604)。それにしても、ケーシーの預言(1936年生まれ)が正しいとするなら、私と同い歳ですから、今年はもう56歳。その割には、いまだにその活動の片鱗さえ窺えません。」
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12413378744.html
何度も同じ事を書くが、全ての預言はシンクロニシティーレベルである。それは、救うのが目的ではなく、二極分化が目的だからである。つまり、この預言に関して言えば、救世主は現われるだろうが、この人物ではない。(救世主が現われて「イエスの再臨」が起こる事を信じるかどうかで二極分化。)
>また<封印⑥>に次のような箇所があります。
「わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印を押してしまうまでは、地と海と木とを損なってはならない」
「また、もうひとりの御使が、生ける神の印を持って、日の出る方から上って来るのを見た。彼は地と海とをそこなう権威を授かっている4人の御使にむかって、大声で叫んで言った、「わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない」。わたしは印をおされた者の数を聞いたが、イスラエルの子らのすべての部族のうち、印をおされた者は十四万四千人であった。」
「ヨハネの黙示録」第7章2節~4節
シンクロニシティーとしては、日本に救世主が現われると解釈される。
「その人物は、今(1991年)はまだ若い男性で、日本の北部におり、準備ができていない。彼には「青木先生」という武術を教える師がいる。その青木氏自身、武術だけでなく、ある種の哲学を説いている、という。
果たして、この人物とは誰か。そして彼が説くという「愛の法」と「すべてがひとつ」という教えとは何か。私は期待して、彼の出現を待ちたいと思う。」
引用元:http://tocana.jp/2015/05/post_6404_entry_3.html
シンクロニシティーレベルなので、この人物でもないが、日本に現われるだろう。因みに、ノストラダムスの10巻75番の詩に「アジアに現われる」とある。
>では、その「日は暗くなり」の日はいつのことなのか。それはイエス預言によれば「荒らす憎むべき者(獣)が、立ってはならないところに立つ」日でした。そして72ページで、その日にアラブ勢に包囲されていた”二人の預言者”が(獣により)倒されたところまでをみてきたわけです。
72ページとはこちら。https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12408561690.html
>黙示録によれば、この殺された預言者たちは「三日半の後、いのちの息が神から出て彼らのなかに入り、そして彼らが立ち上がったので、それをみた人々は非常な恐怖に襲われた。そのとき、天から大きな声がして『ここに上ってきなさい』というのを彼らは聞いた。そして、彼らは雲に乗って天に上った」(11/11~12)。
上によれば、彼らが殺されて三日半の後に”ラプチャー”が起こるようです。すなわち”艱難の七年間”のちょうどまんなか(三年半目)に当たる時点が”携挙の日”となるわけです。それにしても、なぜそれは「終わりの日」ではないのか。
この二人は特別で、携挙(ラプチャー)とは関係ないだろう。
「そしてわたしは、わたしのふたりの証人に、荒布を着て、千二百六十日のあいだ預言することを許そう」。
彼らは、全地の主のみまえに立っている二本のオリブの木、また、二つの燭台(しょくだい)である。
もし彼らに害を加えようとする者があれば、彼らの口から火が出て、その敵を滅ぼすであろう。もし彼らに害を加えようとする者があれば、その者はこのように殺されねばならない。
預言をしている期間、彼らは、天を閉じて雨を降らせないようにする力を持っている。さらにまた、水を血に換え、何度でも思うままに、あらゆる災害で地を打つ力を持っている。
そして、彼らがそのあかしを終えると、底知れぬ所からのぼって来る獣が、彼らと戦って打ち勝ち、彼らを殺す。
彼らの死体はソドムや、エジプトにたとえられている大いなる都の大通りにさらされる。彼らの主も、この都で十字架につけられたのである。
いろいろな民族、部族、国語、国民に属する人々が、三日半の間、彼らの死体をながめるが、その死体を墓に納めることは許さない。
地に住む人々は、彼らのことで喜び楽しみ、互に贈り物をしあう。このふたりの預言者は、地に住む者たちを悩ましたからである。
三日半の後、いのちの息が、神から出て彼らの中にはいり、そして、彼らが立ち上がったので、それを見た人々は非常な恐怖に襲われた。
その時、天から大きな声がして、「ここに上ってきなさい」と言うのを、彼らは聞いた。そして、彼らは雲に乗って天に上った。彼らの敵はそれを見た。
この時、大地震が起って、都の十分の一は倒れ、その地震で七千人が死に、生き残った人々は驚き恐れて、天の神に栄光を帰した。」
「ヨハネの黙示録」第11章3節~13節
他の旧約聖書の預言から、「わがしもべダビデ」に相棒がいるとは思えないが、地獄を一緒に味わってくれる人がいたらちょっとは救われるだろう。(「詩篇」第89篇38節~52節)
>では、携挙が起こるのはたった一日だけなのか。多分そうだと思います。なぜなら、私どもは地上のキリスト存在の波動に”同調”した結果”大いなる変異”を果たし得るわけで、そのキリストが携挙されてしまった後では普通の人間の自力でとてもそのような奇跡を行うことはムリだからです。
あまり関係ないが、ピンク・レディーの活動期間は4年7ヶ月で、山口百恵さんの活動期間は7年間。人に影響を与える期間というのは、ダラダラと長くない方がいいのだろう。
因みに、第一次世界大戦は4年3ヶ月で、第二次世界大戦は6年間である。
1999年前後にもそんな期間があったのかもしれない。https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11932834832.html
おまけ