参考資料2054 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

伝道の書 その15
「8 あなたの衣を常に白くせよ。あなたの頭に油を絶やすな。
9 日の下で神から賜わったあなたの空なる命の日の間、あなたはその愛する妻と共に楽しく暮すがよい。これはあなたが世にあってうける分、あなたが日の下で労する労苦によって得るものだからである。
10 すべてあなたの手のなしうる事は、力をつくしてなせ。あなたの行く陰府には、わざも、計略も、知識も、知恵もないからである。
11 わたしはまた日の下を見たが、必ずしも速い者が競走に勝つのではなく、強い者が戦いに勝つのでもない。また賢い者がパンを得るのでもなく、さとき者が富を得るのでもない。また知識ある者が恵みを得るのでもない。しかし時と災難はすべての人に臨む。
12 人はその時を知らない。魚がわざわいの網にかかり、鳥がわなにかかるように、人の子らもわざわいの時が突然彼らに臨む時、それにかかるのである。
13 またわたしは日の下にこのような知恵の例を見た。これはわたしにとって大きな事である。
14 ここに一つの小さい町があって、そこに住む人は少なかったが、大いなる王が攻めて来て、これを囲み、これに向かって大きな雲梯を建てた。
15 しかし、町のうちにひとりの貧しい知恵のある人がいて、その知恵をもって町を救った。ところがだれひとり、その貧しい人を記憶する者がなかった。
16 そこでわたしは言う、「知恵は力にまさる。しかしかの貧しい人の知恵は軽んぜられ、その言葉は聞かれなかった」。
17 静かに聞かれる知者の言葉は、愚かな者の中のつかさたる者の叫びにまさる。
18 知恵は戦いの武器にまさる。しかし、ひとりの罪びとは多くの良きわざを滅ぼす。」
旧約聖書「伝道の書」第9章8節~18節

感想
>8 あなたの衣を常に白くせよ。あなたの頭に油を絶やすな。

「09:08どのようなときも純白の衣を着て
頭には香油を絶やすな。」(新共同訳)

白い衣は選民の証らしい。

「9 その後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、数えきれないほどの大ぜいの群衆が、白い衣を身にまとい、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立ち、
10 大声で叫んで言った、「救は、御座にいますわれらの神と/小羊からきたる」。
11 御使たちはみな、御座と長老たちと四つの生き物とのまわりに立っていたが、御座の前にひれ伏し、神を拝して言った、
12 「アァメン、さんび、栄光、知恵、感謝、ほまれ、力、勢いが、世々限りなく、われらの神にあるように、アァメン」。
13 長老たちのひとりが、わたしにむかって言った、「この白い衣を身にまとっている人々は、だれか。また、どこからきたのか」。
14 わたしは彼に答えた、「わたしの主よ、それはあなたがご存じです」。すると、彼はわたしに言った、「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。
15 それだから彼らは、神の御座の前におり、昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。御座にいますかたは、彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう。
16 彼らは、もはや飢えることがなく、かわくこともない。太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。
17 御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう」。」
「ヨハネの黙示録」第7章9節~17節

>9 日の下で神から賜わったあなたの空なる命の日の間、あなたはその愛する妻と共に楽しく暮すがよい。これはあなたが世にあってうける分、あなたが日の下で労する労苦によって得るものだからである。

「09:09太陽の下、与えられた空しい人生の日々
愛する妻と共に楽しく生きるがよい。それが、太陽の下で労苦するあなたへの
人生と労苦の報いなのだ。」(新共同訳)

イエスはどうだったんだろうね。一説には、マグダラのマリアが妻だった説もあるけどね。
http://www.y-asakawa.com/Message2012-2/12-message92.htm

個人的には、イエスは次元が違うので、1対1で妻帯をしていたとは思えない。こんな事も述べているしね。

「イエスは答えて言われた、「あなたがたは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。復活の時には、彼らはめとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。」
「マタイによる福音書」第22章29節~30節

「イエスは彼らに言われた、「この世の子らは、めとったり、とついだりするが、かの世にはいって死人からの復活にあずかるにふさわしい者たちは、めとったり、とついだりすることはない。彼らは天使にも等しいものであり、また復活にあずかるゆえに、神の子でもあるので、もう死ぬことはあり得ないからである。」
「ルカによる福音書」第20章34節~36節

念のため、イエスも弟子たちも自分たちが「終わりの時」に生きていると思っていた(「ヨハネの第一の手紙」第2章18節)。だから、こんな事を述べておいて、自分が妻帯していたらおかしいだろう。また、イエスの奥さんが特別になり過ぎてしまう恐れもある。(僕(しもべ)仲間は皆対等。)

補足
「7 わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。
8 彼女は、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである」。
9 それから、御使はわたしに言った、「書きしるせ。小羊の婚宴に招かれた者は、さいわいである」。またわたしに言った、「これらは、神の真実の言葉である」。
10 そこで、わたしは彼の足もとにひれ伏して、彼を拝そうとした。すると、彼は言った、「そのようなことをしてはいけない。わたしは、あなたと同じ僕仲間であり、またイエスのあかしびとであるあなたの兄弟たちと同じ僕仲間である。ただ神だけを拝しなさい。イエスのあかしは、すなわち預言の霊である」。」
「ヨハネの黙示録」第19章7節~10節

>11 わたしはまた日の下を見たが、必ずしも速い者が競走に勝つのではなく、強い者が戦いに勝つのでもない。また賢い者がパンを得るのでもなく、さとき者が富を得るのでもない。また知識ある者が恵みを得るのでもない。しかし時と災難はすべての人に臨む。

「終わりの時」には「運命」があるのかもしれない。因みに、この場合の「終わりの時」は「真理の御霊」(契約の使者)が現われてからという意味である。「真理の御霊」に運命(宿命)がある事は明らかであり、それに関わる人にも影響が出ると思われるから。
最後の一文は、「主の日」だろうか。

>12 人はその時を知らない。魚がわざわいの網にかかり、鳥がわなにかかるように、人の子らもわざわいの時が突然彼らに臨む時、それにかかるのである。

「09:12人間がその時を知らないだけだ。魚が運悪く網にかかったり
鳥が罠にかかったりするように
人間も突然不運に見舞われ、罠にかかる。」(新共同訳)

池江璃花子選手を連想してしまった。ちょっと検索してみたらこんな記事を見つけた。https://www.036izu.net/entry/2019/02/13/000758
私もたまたまこの番組を見ていたが、笑っているとは気付かなかった。普段から見ているがこの人は普通である。まさに、何故か「罠にかかった」ようである。

>15 しかし、町のうちにひとりの貧しい知恵のある人がいて、その知恵をもって町を救った。ところがだれひとり、その貧しい人を記憶する者がなかった。
16 そこでわたしは言う、「知恵は力にまさる。しかしかの貧しい人の知恵は軽んぜられ、その言葉は聞かれなかった」。

「09:15その町に一人の貧しい賢人がいて、知恵によって町を救った。しかし、貧しいこの人のことは、だれの口にものぼらなかった。
09:16それで、わたしは言った。知恵は力にまさるというが
この貧しい人の知恵は侮られ
その言葉は聞かれない。」(新共同訳)

貧しいからかな。いや、現実に町を救ったら感謝されるどころではないだろう。やはり、ソロモン王が凡夫なのだろう。ソロモンの知恵っておかしくない?

>17 静かに聞かれる知者の言葉は、愚かな者の中のつかさたる者の叫びにまさる。
18 知恵は戦いの武器にまさる。しかし、ひとりの罪びとは多くの良きわざを滅ぼす。

「09:17支配者が愚か者の中で叫ぶよりは
賢者の静かに説く言葉が聞かれるものだ。
09:18知恵は武器にまさる。一度の過ちは多くの善をそこなう。」(新共同訳)

17節の「支配者」は「ソロモン王」か。18節は「青汁王子」を連想しちゃったよ。

おまけ